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fictional diary#9 光の色の足し算

その国の、海沿いの小さな町でガラス職人をしている友人の
ところを訪ねた。彼の住んでいる家は、海を見晴らす丘の上
にあって、家の外壁は、曇りの日の海のような霞んだ水色に
塗られていた。玄関を入るとすぐに、部屋からあふれ出そう
なほどたくさんの、どれも青っぽい色のガラスでできた品物
が並んでいた。ガラスでできた花瓶、コップ、お皿、時計板、
ランプシェード、手のひらサイズの動物のガラス細工。どの
青も、すこしずつ違う色だった。海に面した窓から入りこむ
真昼の光が、ガラスの表面で跳ねて水滴のようにひかってい
る。わたしはかばんを自分の体にぎゅっと引きつけて、ガラ
スに触れないようそろりそろりと歩きながら、光の魔法に目
を凝らした。友人と会うのは随分久しぶりだったけど、ガラ
ス細工に見惚れてしまって最初の一時間くらいはほとんどな
にも言葉を交わさなかった。ようやく椅子に座ったわたしを
見て彼は、ここの光は、夕焼けのときが格別なんだ、と言っ
た。想像してみてよ、夕焼けの濃いオレンジの光が、青いガ
ラスに当たったら、何色になると思う?わたしはすこし考え
込んでみたけれど、見当もつかなかった。昔々に美術の授業
で、光の色の足し算のやり方を習った気がするけど、内容は
すっかり忘れていたし、教科書にはこんな青いガラスの話や、
夕焼けの話なんて載っていなかったから。友人はキッチンか
ら、赤紫の液体の入ったボトルをひとつと、かすかな薄い青
に染まったグラスをふたつ、運んできてテーブルに置いた。
答え合わせは、日暮れまで待たなきゃ。そう言って嬉しそう
に、目を細めて窓の外を眺めた。太陽はまだ海の真上にあっ
て、まだまだ時間はたっぷりある。それまでに答えをゆっく
り考えればいい。海から吹いてきた風に、壊れやすいガラス
をぶつけてわたしたちは乾杯をした。


Fictional Diary..... in企画(あいえぬきかく)主宰、藍屋奈々子の空想旅行記。ほんものの写真と、ほんとうじゃないかもしれない思い出。日刊!