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noteに書かない日記


昨日気がついたのだが、noteを書き始めてからそれまで書いていたプライベートな日記を書くのを忘れていた。
noteを毎日更新していると、なんか日記を書いたような気になっていたのだ。

特に、私のような双極性障害を抱えている者にとっては、日々の記録は貴重な資料になる。この日何が有って何を感じたか。後でそれを読み返すと精神状態の好調不調がよくわかる。
好調な日がこのくらい続いたから不調な日はいつ頃に来るだろう、という予測にもなるし心構えもできる。
私は自分のことだけでなく、夫の体調も日記に書いていたので今読み返すと、夫がなんだかんだ言いながらこの数ヶ月の休職中に精神状態がかなり良くなっていることも再発見したりしている。

noteに書く自分と、プライベートに書く自分は違う。
noteを毎日更新していると、自分の考え方が日に日に明確になっていくのを感じるけど、いつの間にか「他人から見て受けやすい内容」を考えて書くようになってしまう面も有ると思う。そしてnote上に合わせた人格を作ってしまう。

今日、「遅いインターネット」(宇野常寛)という本を読んだ。
それによると、今では人々は人が作った物語を受け取ることより、自分が発信者になる快感を強く感じるようになってきているそうだ。悪いことではないが、発信者という立場に溺れすぎることの危険性は私もなんとなく感じている。

なるべくプライベートの日記も続けようと思う。
現実では言えないことをnoteに綴っている人も多いと思うけど、私のように書くことに耽溺しやすい者は、noteの上にできた人格があまり現実と乖離しておかしいことにならないようにしたい。



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