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恋人の自死から4年

もうすぐゴローさんが亡くなって四年が経つ。自殺というものはセンセーショナルなもので楽しかった思い出に対する塗り替え方がすごい。思い出に自殺というものが上書きされる。それと同時に本来なら忘却されたであろう記憶が強く残る側面もあるから今だに散らばった記憶を思い返すこともある。ただそれも年月と共に薄くなってはきている。

声も当然のように思い出せない、姿は写真が少し残っているので見たら思い出せる。

今日は久々に家にある遺品で作ったオリジナルの仏壇に手を合わせた。

最近、考えることは好きな人の最後を知れる幸せもあるのかもということである。恋人というものは別れる方が多いもので結婚でもしない限り行方を知ることも無くなる。

物語の最後を読む感覚といえば伝わるだろうか、好きな人好きだった人がどんな環境でどんな風に最後を終えたのか、直後は知らなければ良かったとも思ったが今は知れて良かったと感じている。

魂はあるのだろうか、あるとすればどこに行くのだろうか、自殺だとやはり浮かばれないのだろうか、それとも無になったのか

生きている私が知ることはない。

私は呑気にこれから先の人生について考えたり海に行って山を作ったりしている。

田舎の海は静かで死後の世界はこんな風かなと思ったりした。いつかまた、と書きたくなったけれどそれも違う気がする。

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