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「自分は凡人である」という認識は仕事論において大切。という持論。

「自分は凡人である」という認識は仕事論において大切だと思っています。能力も人格も才能も傑出するものはない。でも、仕事する人々の99%はそうですよね。凡人だからダメなんてことになったら世界が運用できない。凡人である自分がどうやったらバリューを発揮できるかを考えることこそが仕事であるわけで。

仕事論やリーダー論を読むと多くのひとが艱難辛苦を乗り越えて、人格的にも優れているリーダーが描かれます。もちろんそういう人もいるだろうし尊敬に値すると思うのですが、「であらねばならない」とは思わない。むしろ、怠惰で気分屋で飽きっぽくてだらしない凡人であるぼくが「それでも仕事を進ませるにはどうしたらいいか」「どんな仕組みや視点をもったら凡人でもバリューを出せるか」「傑出しないまでも自分の特性で拡張すべきカードはどれか?」と考えた方が実質的だと思っています。だって、ほとんどの人がそうなんだから。(と思っていますが、99%のひとに「おれ/わたしはちがう」と言われたらぼくはすごすご引き下がります)

「リーダーとは?」と聞かれたら、個人的には「機能」と答えます。それは人格や天才性と分離することもできる機能であり役割だと思っているからです。もちろん偉人のようなリーダーはあちこちに存在するし何ら否定するものではないのですが、それしかモデルケースがないと思ったら動けなくなってしまう。自分は凡人だけど、仕事のほとんどは凡人が運用するんだから。「凡人が働きやすくバリューを発揮しやすい仕組みや環境は何か?」「薄めではあるが持ち得ている自分の特性でフォーカスすべきものは何か?」を考えた方がいいですよね。というか好みの問題ですが。ぼくはそういう考え方の方が好きです。

「よい仕事をするためには人格者であらねばならぬ」なんて言われたらやだよそんなの。仕事のための人格じゃないんだし。良い仕事を重ねたら結果的に人格者になるかもしれませんが。ぼくはぼくだし、それとこれとは話が違う。凡人なめんなよ。凡人である自分を受け止めながら、良い仕事をできたらいいなあ…と思っています。

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