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加齢を祝うことの力強さよ

また1つ歳を重ねてしまいました。

毎年身体計測をするように徒然と何か投稿しているのですが、今年は一句読ませていただきした。

こちら日跨ぎ時、31years oldの初句でございます。

続いて夜明け、目覚めの一句。

男子三日会わざれば刮目してみよとは言いますが、夜半から朝にかけて、あかときの間に何かがあったようです。

ただ雨のように落ち、川のように流れる無常感から、なんというポジティブ野郎に。

これが加齢なのだなと。

いやはやしかし

誕生を、加齢を祝うとは凄まじい文化です。

人は生きながらに少しずつ死んでいて

生きてもいるが、死んでもいます。

それは例えば夏から秋に移り変わるように

明確な境界線なく、気づいたら変わっているもの。

エントロピーもそのようにして影を潜めて漸増し、気づいたら世界に融けた、なめらかなスープに。(スープになったら気づくことはもうないですね)

これを祝おうとするのだから

所有した生命を手放すまいとする本能の目からは、なんともウルトラCな解釈に映ります。

しかしこれこそが希望なのかもしれません。

人生とはただ所有したものを手放すのみならず、さよならを悲しむのみならず、散りゆくグラデーションの彩りを祝うことができるのです。

なんという発明。なんという宗教。

「誕生日」という概念の開発者に言いたい。

「おめでとう」



ps,

いただいてばかりなので、なにもねだりゃできませんが

もしなにかひと口祝いたい!という粋な方がいらっしゃいましたら、こちら逃げBarを存続させるためのクラファンへ乗ってくださると幸いです🙏


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