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『52ヘルツのクジラたち』映画レビュー/まだ名前のない関係性。響き合うもの。

久しぶりに映画レビューを書く。オールタイムズベスト10に入るくらい好きな小説の映画を観てきたから。

「52ヘルツのクジラ」とは、他の仲間たちには聴こえない高い周波数で鳴く世界で1頭だけのクジラのこと。その鳴き声は1980年代からさまざまな場所で定期的に検出され「世界で最も孤独なクジラ」と呼ばれている。

クジラの声は、人間が聴くと一瞬で鼓膜が破れてしまうくらい大きい。それだけの音量で、暗い海のなか、誰にも受け取ってもらえない声を出し続ける寂しさは、悲しさは、虚しさは、想像するに難くない。

なぜなら、僕らもまた1人1人異なる周波数を持つから。
叫んでいるのに届かない寂しさや、叫んでいたのに受け取れなかった悲しさを、生きていればそれぞれ固有の経験として持っていると思う。

作中ではその声を受け取れる唯一無二の関係を「魂のつがい」と表現している。果てしなく暗い大海のどこかに「魂のつがい」がいて、同じ周波数の声が聴こえてきたとき、52ヘルツのクジラはどれだけ嬉しいだろう。

最近改めて思うことがある。

それは地位とか、名誉とか、力とか、承認とか、様々な欲求が渦巻いているけれど、それらすべては「できるだけ純粋に人と繋がりたい」という根源的な動機への言い訳なのかもということ。

それは愛という言葉でよく表されるけれど、まさに「あ」と「い」のような異なりを、周波数の違いを、1つのものとして感じとれる状態で在ること。

文明は何かを「分ける」ことで「分かってきた」
神の怒りは「雷」→「電気」→「大気中での電荷分離による放電現象」へ、人々の集まりは「家族」や「恋人」や「友達」などに分かれ、関係に名前が付けられ、区分されてきた。

分かることは、時に別れることでもある。
既存の関係性の外にある2人の関係性を「分かる」ものにはめようとする力は、当人にとっては善意でも、当事者たちにとっては、暴力にもなり得る。

縄文時代の人骨の遺伝子を調べると、同じ村落のうち血縁関係があるのは20%程度だったという。くくる幸せもあると思うから、それを否定はしないけれど、1万年以上そういう時代も確かにあった。

僕ら52ヘルツのクジラたちは、魂のつがいでない限り、もしかしたら本当の声を他者から聴くことはできないのかもしれないけれど、心だけは澄ましていたい。

周波数が異なっていても、響きあえるものはあるはずだから。


映画としても大満足な完成度で、原作にリスペクトのある忠実な構成、脚本に、文間を補う丁寧な演出、情景を引き立てるカメラワーク、杉咲花さんの演技や、劇盤の声を担当された 緋翠 あるま さん声の表情からも、透徹された愛を感じた。

原作も、映画も、とてもおすすめなので

みなさんぜひ!

(あー、早くこういう物語書けるようになりたい)



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