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お弁当を忘れた日(前編)


はじめに

この話は tel(l) if… の挿話です。時系列はvol. 5の前後です。
本編を読まなくても大丈夫だと思いますが、興味のあるかたはこちらからどうぞ。(全話無料)



登場人物

千葉ちば 咲恵さきえ
主人公。進学コースの女子生徒。伊勢のことが好き。

伊勢いせ
特進コースの社会科教師。毎週火曜日、咲恵の勉強を見ている。

麹谷こうじや 卓実たくみ
特進コースの男子生徒。咲恵の恋を応援すると言っているが……?


本文

朝、家を出てすぐに気付いた。
取りに行っている暇はなく、私は後ろ髪をギチギチに引かれながら、電車に乗り込む。
よりにもよって、その日は火曜日で、私は落ち込んだ。出だしでつまずくと、その日は何もかもうまく行かない気がする。
まぁ、お弁当を忘れただけなんだけど。

昼休みに購買部に行くと、ラスクとアーモンドチョコレートしかなかった。
二年前にも全く同じ結果になったことがある。
そうだ、忘れていた。
昼に買いに行っても遅いのだ。

購買部の商品は、お弁当を持ってきていない生徒のためだけに存在している訳では無い。
運動部員は、たとえ、お弁当を持ってても、足りないからと随時買い足しに来る。

ちなみに、この高校に食堂はない。
すぐそこの併設校の大学に食堂はあるのだが、昼休みに行くことは禁止されていた。
校門を出て5分もしない所にコンビニもあるが、昼休みに校外に出ることも許されていない。

1年生の時分、私はラスクとアーモンドチョコレートだけでは足りないと、コンビニに行った。
どうせバレないだろうと思っていたし、きっと、みんなやっているのだろうと高を括っていた。
でも、すぐに教師に見つかった。
その人は女子生徒に人気の特進コースの先生だったが、私はなんだか好きになれなかった。
若い先生は、見てくれの良い生徒だけ優遇しているのではないか、という根拠なき偏見も持っていた。
結局、このときは何も買えなかった。悔しい気持ちでラスクをかじっただけだ。
この頃の私は、教師は(数学のおじいちゃん先生を別にすれば)皆、等しく苦手だった。まだ伊勢先生に出会う前の話だ。
職員室でクラスと名前を控えられ、帰りに担任教師からも注意を受けた。

また注意されても面倒なので、今回は大人しくラスクとアーモンドチョコレートを買った。
それをすぐ食べて、図書室に行った。背表紙を眺めて、知っている名前の作家を探してみたり、本を読んでいるふりをして過ごした。
いつも一緒に昼食を摂っているメンバーには、前以って事情を連絡しておいた。

もしも放課後、伊勢先生と話しているときにお腹が鳴ったらどうしよう。
でも、先生に会えるチャンスが減るのは耐えられない。
火曜日に伊勢先生と話して、水曜日に文芸部の活動をする。これがあるから、私は学校に来ているようなものだ。

幸い、今日は体育がないし、持ちこたえることは可能だろう。
帰りの会が終わったらダッシュで何か買って、食べてから社会科準備室に向かうべきか。
勉強会が終わってから何かを食べるべきか。
卓実に言って、少し待っててもらえば、前者でいいかもしれない。

もしかしたら、久しぶりに先生と話せるからと、上の空で身支度をしたのが良くなかったのか。
本末転倒だな。言葉を選ばずに言えば阿呆だ。
身だしなみを整えて、満たされないまま授業を受けて、他が疎かになって、それで放課後は勉強を見てもらおうだなんて。

どんなに頑張っても、私は私なのに。

私のお弁当は、まだ、食卓にぽつんと残されているのだろうか。もったいないことをした。
母にも悪いことをしてしまった。
早く帰ったほうがいいのかもしれない。

空腹か、低血糖か、私の気分はどんどん沈んでいった。今日、伊勢先生に会っても、何か決定的なミスを犯してしまいそうな、そんな予感がした。
お腹が空いている。ただ、それだけなのに。

帰りの会の後、私は特進コースの校舎まで向かい、卓実に会いに行った。メッセージだと、すれ違いになる気がした。

「ちょっといい?」と私が話しかけると、
「はい」と彼はやけにかしこまった返事をした。

「ごめん、今日は帰ることにした」
謝る必要もない気がしたけれど、簡潔に伝えた。
「なんで?」と彼は怪訝な顔をする。

「実は今日、お昼にラスクしか食べてない。お弁当を忘れた。だから、今、すごくお腹が空いてる。集中できなくて、先生にも卓実にも迷惑かけちゃいそうだから、今日のところは帰ります」
アーモンドチョコレートはいったん伏せた。
「それでなんか顔色悪いのか」

え? 私の顔色って悪い? そんなに?
と聞き返したい気持ちを抑えて、私は暇を告げた。

「なんか食べたほうがいいよ」
間髪入れずに彼が言った。

「早く帰って、忘れたお弁当食べるよ」
今すぐ帰れば、まだ傷んでいなくて食べられるかもしれない。

「それは、やめたほうがいいよ。お腹壊すよ」
彼はまるで諭すような声で続ける。
「そうじゃなくて、どこかで何か食べてから、帰ったほうがいいよ」

「そっか。そうする」
「仕方ない。俺も行くか」
「いや、卓実は先生と勉強があるじゃん」
「俺と先生? 気まずいでしょう。どう考えても」

彼から「気まずい」という言葉を聞くとは思わなかった。コミュニケーション能力のある卓実でも、気まずいという感情があるのか。
それに、いつも率先して、伊勢先生に話を通してくれているのは卓実だ。

「でも、副担任なんでしょう」
副担任ということは、行事の際は行動をともにすることもあるだろうし、担任の代理になることもある。
つまり、それだけ、顔を合わせる機会があるということだ。
ちなみに、お揃いのクラスTシャツだって着れる。めちゃくちゃ、うらやましい。

「ああ、それとね、ドーナツ食べようと思ってた」
と私は切り出す。
「いいじゃん」
「卓実の定期区間外だと思うよ」
あとから文句を言われても困るから、先に伝えた。

「ちょっと待ってて。伊勢先生と話してくる」
「私も行く」
一目でいいから、先生に会いたかった。

「頼むから待ってて。咲恵がいると話ややこしくなりそう」
どういう意味? と返したいけれど、さすがにお腹が空いていた。心当たりもあった。
彼に任せることにする。


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