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正月のカザフスタン#04【完】

さあ着いたよ。
運転手のおじいちゃんが車を降ります。

そこは山の中腹にある駐車場。真冬の夜はとてもよく冷えます。私も早速車を降りて辺りを見渡すと、少し先にうっすらと光を放つプレハブ小屋が見えました。その小さな建物を目指し、2人並んで歩き始めます。

途中あまりの寒さに私が日本語で「寒いね〜」と嘆くと、彼も身体をブルっとさせながら「サムイネ〜サムイネ〜」と愉快に繰り返しました。
その後、彼も私を真似るように何らかのカザフ語を呟くので、私も彼に続けて「サムイネ〜」と同じテンションでその単語を連呼してみます。

あの時2人で呟いたあの思い出のカザフ語。
普段なら忘れないようにその場でメモを取りますが、あの時ばかりは温かいポケットから手を出すのがどうしても億劫で、惜しいことにそのままその大切な単語を忘れてしまいました。
帰国してカザフ語やロシア語で「寒い」と検索しても、あの時呟いた記憶のある単語は出てきません。私はてっきりカザフスタン版「寒いね〜」をマスターしたつもりでいましたが、あの時2人で連呼していた言葉の正体は一体何だったのでしょうか。真相は永遠に闇の中です。


プレハブ小屋に到着すると、そこは簡易的なチケット売り場でした。ここから先は、目の前に停車しているシャトルバスに乗って進むようです。
彼はジャケットの内ポケットから財布を取り出し、カウンターでチケットを2枚購入。これは僕の奢りだよと言わんばかりに微笑んで、颯爽とバスに乗り込みます。
私たちは1番乗りでしたが、車内で5分ほど待つと次々と家族連れが乗客してきます。そしてすっかり賑やかになったバスはゆっくりと山頂を目指して動き出しました。


その後数分で到着したのは、レストランや観覧車、複数のショップが立ち並ぶ、アルマトイ最大のレジャー施設でした。クリスマスのイルミネーションやお正月の装飾が施されたカラフルな広場には多くの家族連れやカップルが集まり、それぞれの楽しげな時間を過ごしています。

こっちだよと手招きされた方へ歩いて行くと、そこにはアルマトイの街を一望できる屋外展望台がありました。そこから見た夜景を、一国の最大都市にしては控えめに輝く一面の美しさを、私はこの先忘れることはないでしょう。

そして何より、この景色を見せてくれたおじいちゃんのあの何とも言えない嬉しそうな表情。まるで本当の孫と遊んでいるかのように、しかしどこかあどけない少年のように、私のスマホを使って楽しそうに何度も何度も私を撮影するのです。
後からそれらの写真を見返すと、全て見事にピントがぼやけていました。中には指が写っているものや長押しによる連写も沢山ありましたが、それもご愛嬌。全て素敵な宝物です。


突然、彼は近くにあった木を見上げて何かを一生懸命に説明し始めました。
それは相変わらずの完全なカザフ語、もしくはロシア語でしたが、お互い粘りに粘って、全身を使って伝え合い、なんとか理解するできました。
それは、「これから雪が溶けて春になると、この木々にはそれは美しい花が咲くよ」という、なんとも素敵なメッセージ。
その色や形までは分かりませんでしたが、彼が何分もかけながら懸命に伝えてくれた花です。きっと美しいに違いありません。いつかまた機会があれば、今度はもう少し暖かくなった時期に、この場所を訪れてみたいものです。


さて、展望台からの帰り道。
運転手の彼はまたジェスチャーで「お腹すいたろう」と言い、地元のケバブ屋さんに連れて行ってくれました。日本でケバブというとラップやサンドのイメージが強いですが、本場の中東では肉や魚、野菜をローストした料理全般を指すようです。特にお肉は立派な鉄串に刺した、巨大な串焼きを指すことが多く、それはそれは絶品です。きっと世界で1番美味しいのは、中東の料理なのかもしれません。

この料理を待っている間、おじいちゃんは私の名前を尋ねてくれました。これまでずっと一緒にいたのに、そういえばお互いの名前を知らなかったのだと気付かされます。
彼の名前はガユル。ガユルじいちゃんです。私の名前も伝えましたが、恐らく彼は読み書きが得意ではなく、メモを取ることだできません。その代わりに、ご飯を食べ終わった後も別れるまでずっと「ゆうこ、ゆうこ」と忘れないように繰り返し呟いてくれていました。

絶品のケバブを堪能しながら今日の出来事を振り返っていると、ガユルじいちゃんの携帯電話が鳴ります。彼は最低限の通話機能のみが付いているそれを取り出し、少しばかり電話口の相手と会話すると、そのまま私に差し出しました。
急なことで驚きましたが、恐る恐るその携帯電話を受け取り耳を当てると、電話口から聞こえてきたのは、どこか覚えのある男性の声でした。
「大丈夫?困ったことや危ないことはない?約束した通り俺は20:30には空港にいるから、安全に戻ってくるんだよ。分かったね。」
アハメドです。彼はやはりジェントルマンでした。


20:30。ガユルじいちゃんは予定通り、私を安全に空港まで送りとどけてくれました。
入り口付近に車を停め、後部座席から私のバックパックを取り出してくれます。最後まで優しい彼に私はこれまでの感謝の言葉を述べ、別れ際に力いっぱいのハグをしました。お互いの言葉は相変わらず通じませんが、おじいちゃんも目に涙を浮かべて、何かを一生懸命に伝えてくれます。

唯一分かったことは「今日は本当に楽しかったから、お代はいらないよ」ということでした。
いやいや、半日タクシーをチャーターして、行きたかったところ全て連れて行ってくれて、その上別料金でバスに乗って展望台に連れて行ってくれたり美味しいケバブを食べさせてくれたりして、お代はいらないなんてそんなことありますか。
そもそも、私の財布にはアハメドが貸してくれたタクシー代がたくさん入っていると言うのに。

結局、ガユルじいちゃんは本当に少しのお金を払わせてくれました。大好きなおじいちゃんとの、この愛に溢れた不思議で素敵な時間を、私はこの先も決して忘れません。どうか今もこれからも、元気で過ごしていてほしいです。


空港ではアハメドが私の帰りを待ってくれていました。というよりも、私の方が出発時刻が早いのでアハメドと搭乗口付近でしばらく話すことができたと言った方が正しいかもしれませんが。

嬉しかったのは、彼が最後に最近産まれたばかりの可愛い娘さんと美しい奥様の写真を自慢げに見せてくれたこと。ポーカーフェイスの彼がプライベートな写真を見せてくれるとは驚きでしたが、その優しいパパの顔が垣間見えたことも、とても嬉しかったです。

数時間前、市内へ向かうタクシーの中でアハメドが貸してくれた5,000テンゲ分のお金を、忘れないうちに彼に返そうとしましたが、「それは受け取れない」とあっさり断られてしまいました。
彼はその仕事柄、いつか日本で大きなサッカーの大会があれば、もしくは機会があればオリンピック期間中に、来日することがあるかもしれないと言います。

私はその時までにより魅力的な人間になって、仕事も頑張って立派に活躍して、初めて日本に降り立つ彼を目一杯おもてなししようと思います。

2020-1

ガユルじいちゃん
ガユルじいちゃんが撮影してくれた私


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