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トラウマに苦しんだ息子へ。おめでとう新社会人

あなたにはトラウマはありますか?

わたしにはあります。
「くみ取り式トイレ」いわゆる
「ぼっとん便所」がトラウマです。

保育園の遠足の朝。
当時4歳のわたしはウキウキして
準備をしていました。

家を出る前に、
トイレへスキップして入った瞬間……。

脇にズキンと激痛がッ!

ぼっとん便所の蓋が開いていて、
わたしの身体が便器の中に
入ってしまったんです。

咄嗟に腕で身体を支えたため、
脇のところで止まっていたんですが
宙ぶらりん。

身長が小さかったので、足をバタつかせても
汚物には届かなかったのが不幸中の幸い。

わたしの悲鳴を聞きつけた父が
抱え上げて助けてくれました。

ケガはなかったし、
無事に遠足にも行けたけど、
それからは一人でトイレに行けなくなりました。

母方の祖父母や叔父叔母と同居していたので、

「初孫が二度と怖い思いをしないように!」

と、すぐ祖父がトイレを改築してくれたそうです。

(わたしは小さかったので記憶が残っていません)

いまはぼっとん便所など
知らない人の方が多いですよね。

だから、トイレに落ちるなんてことはない
と思います。

でも、あるとき気づいてしまったんです……。

家族とキャンプ場へ行ったときのこと。
トイレへ行ったら、
ぼっとん便所だったんです。

当時の記憶がフラッシュバックして、
怖くて用を足せませんでした汗

キャンプ場のスタッフに相談すると、
ぼっとん便所以外のトイレを教えてくれたので
難を逃れました。

あの時は冷や汗をかきました。

いまではほとんど見かけないので
笑い話ですが、トラウマを克服するのは
そんな簡単ではありませんよね。

トラウマになるとは思わなかった愛情弁当

今春、新社会人になった息子は、
浪人時代のトラウマから
お弁当が苦手になりました。

大学に入学してからも、
わたしが作った”お弁当”も
コンビニやデパ地下の美味しそうな
”幕の内弁当”も食べられなかったのです。

浪人時代、息子はほとんど友達のいない
予備校に通っていました。

・勉強に集中したかった
・息子の高校は浪人する生徒が少なかった

周りの子は同じ高校に通っていた生徒同士で
固まって、休み時間やお昼休みも
授業の内容などを話していて
楽しそうに見えたらしいのです。

けれども、息子はわざと友達を作らず、
休み時間は一人で予習復習。

お昼休みも急いでお弁当を食べて、
その後は予備校近辺をジョギングしていたらしいんです。

志望する大学へ合格したい!

という思いが強かっただけに、
ストイックになっていたんでしょうね。

急いで食べるお弁当が美味しいと思えず、
あまりに速く食べるあまり、
喉に詰まらせることもあったとか。

そのくらいかき込んで食べていたそうなんです。

(親のわたしは、そんなこと
これっぽっちも思いませんでした)

その予備校での1年間が息子のトラウマになりました。

それだけじゃなく、
志望校にサクラ咲かなかったことも
彼の心にシコリとして残ってしまったのかもしれない。

浪人時代の時間のほとんどを勉強に費やしたのに、
希望する結果ではなかったから……。

トラウマに苦しんだ息子

中学受験から彼の受験は始まりました。
それはコチラ↓

中学・高校と志望校に入れなかったので、

「大学こそは絶対に!」

と心に決めていたんだと思います。

でも、ダメだった……。

一時期は、お弁当を見ると
吐き気がするほどの症状だったらしいです。

(わたしはそんなことも知らず、
数か月経ってから知りました)

だから、大学生になって「金欠だよ!」
と言っているときでも決して
「お弁当を作って」とは言いませんでした。

「そんなに金欠なら……」
とおにぎりは数回作ったけど、
ほとんど外食でした。

一方、息子は息子なりに

「お弁当が食べられず申し訳ない」

と思っていたらしく、
お弁当代を欲しがったこともないし、
わたしがお金を渡そうとしても
要らないと断っていました。

そんな息子の姿を見て

「時間が心の傷を癒してくれる」

と思っていたけれど、
簡単ではありませんでした。

就活が始まって、
第一志望の企業の最終面接まで
こぎつけたとき。

息子が言っていました。

「12人中、10人が採用されるから、
これで落ちたら仕方がない。」
「あとは”ご縁”だね」

採用されると思っていたのかもしれません。

……が、結果は不採用。

10人ではなく、2人の方に入っていたのです。

帰宅するなり、玄関で泣き崩れる息子。

「ぼくが目指したところ、全部に受け入れられなかった!」
「ぼくは目標や夢を持っちゃいけないの?!」
「この先、どうやって生きていけばいいんだよ!」

胸の内を全部吐き出しているようでした。

夫とわたしは息子をただただ
抱きしめてやることしかできませんでした。

身体を震わせながら

「期待させてゴメン」
「こんなぼくでゴメン」

言い続ける息子を、ようやくソファに座らせて

「ママはキミが”生き抜ける力”をつけて欲しい」
「落ち込むことはないよ。
苦しい思いをした分、優しい子に育ってくれて嬉しいんだから。
自分を責めちゃダメだよ!」

と、精一杯の言葉をかけました(と思います)。

息子は涙を抑えながら静かに聞いていました。

数日経って、
息子が落ち着いたころに2つ上の娘が

「志望した学校や企業に入れなかった人なんて、ごまんといるからね!」
「そんなことで自分を責めたりしないでよ!」
「親は一流の大学・企業に入った息子が好きなワケじゃないよ!わかってるよね?」

と喝を入れていました。

尊敬する姉からの叱責に、
耳を傾けてうなずいていました。

次のステップへ進むために

年が明けて、2023年のお正月。

いつものように家族みんなで1年の目標を発表しようとしたとき

「ぼく、○○で働くことにした」

突然、息子が言ったんです。
第一志望の企業より先に内定をいただいていた
企業に入社することにしたと。

その顔は、何か吹っ切れたように晴れやかでした。

大学生活残り一年間。
ゼミ活動やバイト……
好きなことを存分にやり切って
無事大学を卒業。

今春から新社会人となりました。

入社してすぐ、思いがけず息子から
「お弁当を作ってほしい」と言ってきたのです。

「あれ?お弁当大丈夫?」
と、ちょっぴり意地悪なことを
言ってしまったけど

「もう大丈夫!」
という息子を信じて、
わたしは張り切ってお弁当を作っています。

子育て26年目ですが、
親は子どもの一番の応援団だと思っています。

母親のわたしは応援団長です!

だから、子どもを信じて
応援し続けたいんです。

「わたしの作ったお弁当は食べられなくても、
彼女が作ってくれたお弁当は
食べられるようになって欲しい。」
「時間はかかっても、克服して欲しい」

と思っていました。

でも、わたしだけではきっと無理だった
と思います。
夫や娘も息子のことを応援していたからだと。

そしてなにより、
息子が壁を乗り越えたからだと思います。

たかがお弁当を食べられないくらいで……

と思う方もいらっしゃるでしょう。

でも、「お弁当くらい……」じゃないんです。

すべてにおいて豆腐メンタルママのわたしは

「子どもがツラいときに寄り添ってあげたい」
「乗り越えるための応援やサポートをしてあげたい」

と、強く思うんです。

だって、かけがえのない宝物の子どもたちを
世に放つから。

「生き抜ける力」を養うために、
さまざまな経験をして壁を乗り越えて成長していく。
その姿を少し離れたところで、
大きな旗を振って応援したいと思います。


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