見出し画像

一年で大学中退→フリーランスに?! ~エンタメ業界で働く大谷さん~

こんにちは!とらつぐみ代表です。今回は現在エンタメ業界で働いている21才の大谷重晴さんにお話を伺ってきました。大学を1年で退学と異色の経歴をお持ちの大谷さんですが、そこに至るまでにいったいどんなドラマがあったのでしょうか?


受験について

出身高校

――大学中退の話や、現在のお仕事など伺いたいことは沢山あるのですが……まずは、高校の話からお聞かせいただければと思います。出身高校はどんな高校だったか教えていただけますか? 

 母校は相模原弥栄高校です。母校の良い点は、音楽科と美術科の生徒と交流する機会があった点です。舞台芸術の部活で学科関係なく一つの作品を作ることができたことがよかったと思います。また、彼らと話すことで普通科の自分でも進路の視点を広く持てたのが良かったと思います。


 
――どんな大学をどのような方法で受験しましたか?

 大学受験は建築に関する学科や学部を受験しました。理論や物作りへの関心があり、理系の中でも適性が高いと考えました。
 
 受験校については第一志望から第三志望までは知名度が高いかどうかを重視しました。就職活動や、就職してから学歴が役に立つだろうと考えていたからです。
大学の情報は主に塾の先生から得ていました。自分の学力と行きたい学部から考えるとおのずと絞られていきました。 

 受験科目が多くならないように、というのも一つ気を付けていた点です。自分は化学が苦手で物理が得意だったので、物理科目だけで受験できるように受験方法を選択しました。

以前に取っていた資格は英検の準二級までで、受験のために新たな資格は取りませんでした。


塾について

 ――受験のために塾に通われていたんですね。いつから通われていたんですか?

大学受験でも、高校受験でも個別指導塾に通っていました。学校での勉強は暗記に主眼が置かれたのに対し、塾では「なぜそうなるのか」という点まで教えてもらっていたので自分に合っていたように思います。また苦手な強化に時間をかけられたのも良かったと思います。
 
塾は高校3年間で200万円ほどかかったと思います。季節講習が一回数十万円だったと思うので、それくらいだと。2:1の個別指導塾でした。
 
受験勉強は2年生の夏から塾で始めました。週2で通常講習をしていました。季節講習は夏と春と冬にありました。通常講習では塾のオリジナル教材、季節講習では売っている参考書を使うことが多かったです。高3の夏を過ぎてからは平日3コマ、土曜日に5~6コマほど勉強していました。一コマは90分で、すべての教科を塾で対策していました。

 
――なるほど。個別指導塾だったんですね。どんな勉強をしていたのか、教科ごとに教えていただけますか?

英語は『英文法・語法SWing』という教材をやっていました。説明と問題と例文が載っているものでした。これ以外にも塾の文法書などを使っていて、ひたすら反復していました。リスニング対策は特にしていませんでした。未就学児から中学生までベネッセの通信教材を使っていて、リスニングに苦手意識はありませんでした。中学生になってからは学校の宿題などもあり、教材を溜めがちでしたが。
 
数学は基本的に塾のオリジナルの教材を使用していました。3周はしたと思います。また、高校2年生からは『基礎問題精構』という参考書を繰り返し解いていました。

物理は『基礎問題精構』という参考書や、『リードα』という学校で配られたワークを使っていました。小単元ごとに内容解説と演習がセットになっており、一冊で完結するので使いやすかったです。
 
化学基礎は『セミナー』という学校で配られた教材を使っていました。
 
――結構なボリュームですね!1日の勉強時間はどれくらいだったんですか? 

 塾の宿題を2時間/日と、15コマ/週(季節講習中は25コマ)くらい勉強していました。模試ではよくてB判定で、半ばチャレンジのような気持ちで本番を迎えました。
 

お仕事現場の写真

受験の反省



――反省点などがあれば、この先受験する人のために教えて頂きたいです。

反省点は3つほどあります。
一つ目は、コロナ禍ということもあり、大学に行ったことがないまま受験本番を迎えたことです。大学の雰囲気は思っていた以上に大学ごとで差があり、知名度や学歴で大学を選んだとしても、一度は足を運んでおくべきだったと思います。私は第一志望の大学のキャンパスで受験したときに、思っていた雰囲気と違いモチベーションが下がってしまいました。
二つ目は、レベル別に受験校を選んでいなかったことです。第1~第3志望は偏差値が60~65、第4~第6志望は35~40と偏りのある選び方をしてしまい自分の学力に合う大学に進むことができなかったので、幅のある志望校選びをすべきだったと思っています。
三つ目は、受験当日に向けて気持ちが作れなかったことです。母親が受験当日1週間前に入院したこともあり、勉強ではなく家事に時間を費やすことになってしまいました。また、第三志望の大学では、受験中に隣の受験生が大きな音をたてたり、消しゴムを使用する際に机が揺れたりすることにとても戸惑いました。今思えば、受験監督に相談すべきだったと思います。


――詳しくご回答いただいて、ありがとうございます!最終的に入学されたのは何大学だったんですか? 

 最終的に入学したのは第5志望の東京工芸大学でした。この大学に限らず、建築学部はとても忙しいと言われていて、実際私も忙しかったです。一年の後期はとくに専門授業とその授業の課題に追われ、とても忙しかったです。ただ、専門的な勉強は楽しく、忙しいながらも苦ではありませんでした。英語などの基礎教養の方が、専門性がなく中学レベルの学習内容で、あまり楽しくなかったです。


お仕事現場の写真

大学中退、そしてフリーランスに


 

――苦労した受験生活にもかかわらず、1年ほどで大学を自主退学されましたが、もしよろしければその話もお聞きしたいです。

 高校時代の部活の経験などもあり、エンタメ業界に興味をもっていました。ただ、安定しない職業で収入が少なく忙しいと言われていたこともあり、安定と高収入を選び建築学部に進学することを決めました。


 進路を決定し、大学に入学してからもずっとエンタメ業界へ進む道を選ばなかったことにもやもやしていました。初めは見ないふりをしていましたが、そのもやもやは徐々に大きくなっていきました。建築学部での学びが楽しくなかったわけではありません。しかし、それ以上にエンタメに惹かれている自分がいました。大学を辞めるきっかけは、一年生の後期に言われた「ほんとうに建築でいいの?」という母親の一言でした。それまでも何度か言われていましたが、これでいいんだという風に答えていました。しかし、この時はなぜかはっきり答えられませんでした。そこから自分の進路について本格的に考え始めました。そして、2年の4月に大学を辞めました。

 そこからはいったんフリーランスとして働き始めました。翌年から専門学校に入ることも考えましたが、専門学校の先生や仕事先で出会った人に「仕事を続けたほうがいい」という助言を受け、専門学校には入らないまま今に至ります。

お仕事現場の写真


――一度大学に入り退学したことは、今どう受け止められていますか?

 大学に一度は行ったことには後悔はしていません。まっすぐに進めない感じが自分らしいなという風に思っています。金銭的な葛藤はもちろんありました。親に全額出してもらっていて、とてもありがたいと思っています。

 

受験生に一言



――それはよかったです!そんな大谷さんから、いまの受験生にアドバイスがあれば頂きたいと思います。


まず、大学は自分の足で見に行った方がいいです。
また、やりたいことをやったほうがいいと思います。一番やりたいことを突き詰めて、やりたいことが変わってもそれをやればいいと思います。そのために最大限勉強すると、選択肢を狭めずに済むと思います。

――「やりたいことを仕事にしない方がいい」という意見も巷にはありますが、大谷さんはどう考えていらっしゃいますか? 

やりたいことはやったほうがいいけど、仕事としてやらなくてもいいとも思いますし、学んだことが仕事に生きなくてもいいと思います。私はエンタメはやりたいことかつ好きなことですが、仕事は社会貢献だと考えているので、好きという気持ちとは別に役に立つために仕事をするという感覚でいます。アーティストのライブやファッションショーなどの情熱や感動を生む立場に役割をもって立ち会えることが今はとてもうれしいです。

――やりがいのあるお仕事ですね!今日はどうもありがとうございました!

 いかがだったでしょうか。私たちはこれからも、様々な進路を選んだ先輩にお話を伺っていきます。是非アカウントのフォローといいねよろしくお願いします!



お仕事中の写真


→今回インタビューにお答えいただいた、大谷さんのHPです!


次回もぜひお楽しみに!!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?