【デジタル保健室】インタビュー後編:立命館守山中学校・高等学校 スチューデントサポーター 大月隆生さん
こんにちは。
インパクトラボ理事・滋賀大学大学院データサイエンス研究科の戸簾です。
本記事では、デジタル保健室に関わっていただいている方々にインタビューを行い、どのような繋がりから、デジタル保健室と関わりを持って下さっているかを紹介します。
前編では特に、大月さんがどのような経験を経て、現在スチューデントサポーターとして活動されるようになったのか、高校に至るまでのご自身の葛藤などについて、お話頂きました。
詳しくは下記ページをご覧下さい。
旅先で出会った様々な人と自分を比較して「生まれ変わった」
家出した後の経験は、私にとって人生観を変えるものでした。最初はただ逃げるためでしたが、旅を通じて二つの大きな気づきがありました。
一つ目は、人間という存在が地球上の一部でしかないと実感したことです。月並みな表現ではありますが、街を抜け、田んぼや畑、山々を越えていく中で、人間社会が自然と比べてちっぽけなものであると感じるようになりました。それまでの自分の視界は、自分の困っていることだけでいっぱいでしたが、 家出を経て、大きなスケールで見ると些細なことに思えてきました。
二つ目は、どんな人でも悩みはあると分かったことです。私は高校生という立場で、見知らぬ土地で様々な人に声をかけましたし、多くの人々に声をかけられました。その中では「家に帰った方が良い」「学校に行った方が良い」とアドバイスをする人もいました。ただし、結局は出会った人達と私はその場限りの関係ですので、良い意味で肩の力を抜いて話せたことが、私にとってはとても良い経験でした。そして、自分の話をするだけでなく、彼らの悩みや生活を聞いている内に、私自身の問題がだんだんと相対化されるようになりました。つまり、自分の問題を客観視することができるようになっていきました。
頑張れた自分がいる一方で、頑張った先にある課題も見えた
学校に行けないことで悩んでいた私ですが、他の人々もまた、それぞれに大きな悩みを抱えて生きていることを知り、私だけが苦しんでいるわけではないと気づきました。これらの出会いは、人生や社会に対する興味を新たにしました。
家出の結果、私はもう一度社会に戻ってみたいと思うようになりました。台風が来る中で、偶然出会った工事現場の人々に助けられ、宮崎から大阪へと帰る決心をしました。
旅から帰ってきて、私は授業をほとんど受けずに独学で勉強し、大学受験の準備をしました。時折、好きな科目の授業を覗きに行く程度で、実質的には自分一人で学習を進めていたのです。この状況は、私が立命館大学に合格できたことにつながりました。良い大学に入学できたことは、周りのサポートもありましたが、当時の私も相当頑張っていたことの成果だと思います。
しかし、このような結果に至る過程は美談で済ませることはできません。高校3年間、授業を受けることなく過ごしたことは、進路に与える影響が大きいと思います。学校生活では、授業を受けることや友達との交流が、その後の人生において重要な役割を果たします。
私の場合、高校時代に友達と過ごす時間が少なかったことが、大学生活の初期段階でのコミュニケーションの困難さにつながりました。スマホの使い方がわからなかったり、LINEでのやり取りが難しかったりと、日常生活の基本的な部分でさえも戸惑いました。人と話すことが疲れてしまい、帰宅してすぐに眠ってしまう日々が1年間続いていました。
学校側に様々な選択肢がない事に対する疑問
家出から帰った後、私は自分の経験を振り返り、高校生活や自分の将来について真剣に考えるようになりました。さらに高校を卒業して、大学に行ってみたいという気持ちが芽生え、学校へ通う方法を模索し始めました。
この時期に、いわゆる保健室登校のような形で、教室ではない別室へ登校するようになりました。そこは、教室へ行くことが難しい生徒が過ごす場所として使われていましたが、古くて狭い部屋に古い机が並び、空調の効きも悪い、という環境でした。
そこにいても、クラスメイトとの交流が生まれるわけではなく、先生とのコミュニケーションも成績など事務的な内容がほとんどで、私を含めそこにいた生徒の直面する問題に関ろうとするわけではありませんでした。まるで、私を含めそこにいた生徒たちは、いないかのような、のけ者にあるかのような、そんな孤立感を感じたことを覚えています。
そんな経験から、私は今の学校という教育システムは、学校に適応させて卒業させることに重きが置かれ、個々の生徒のニーズを十分に考慮していないと感じるようになりました。 教育の場はすべての生徒が等しく学び、成長できる環境であるべきですが、私の経験上、その理想と現実には大きな隔たりがあると痛感しました。この認識が、私が教育やジェンダー平等に関する活動に関心を持つきっかけとなり、将来的にこれらの問題に取り組む動機づけにもなっています。
テーマ2:性教育
一方、性教育に関心を持ったのは、昔から考えていたというわけではなく、自分自身が捉われている「男らしさ」を入口に、ジェンダーを意識し始めたのがきっかけでした。ジェンダー平等を実現する手段の1つとして有効だと感じて、行動しています。
しかし、真のジェンダー平等が実現された社会がどのようなものか、誰もが経験したことがない故、想像すらできない状況が現状です。具体的に言えるのは、不平等な状況がどのようなものかということのみで、どうあるべきか、どう生きやすいかという具体的なビジョンを示すにはまだ至れていない事を痛感しています 。つまり、まず私たちが「ジェンダー平等の実現された社会に生きたことがない」という現実を認識したのです。
私が性教育に携わるもう一つの理由は、自分自身の過去への責任感からです。特に中学時代に過激な行動を取ってしまったことへの負い目を感じています。しかし、その責任をどのように果たしていくかについては、具体的な方法が見つかっていません。そこで、不平等を再生産しないような社会を創り、少しでも良い方向へ導いていくことが、私にとっての責任の果たし方だと考えています。
性教育における創造性とは、平等な社会を構築する方法を模索する過程そのものです。一方的に知識を伝えるだけでなく、生徒との対話を通じて新たな言葉や概念を見つけ出し、ジェンダー平等な社会について共に考えていくことに面白さを感じ、今も活動に取り組んでいます。
最後に
山村先生に続いてデジタル保健室に関わってくださっている、大月さんへのインタビューはいかがだったでしょうか。デジタル保健室の実現に向けて動かれているリアルな声を届けることができたかと思います。
今後も私たちは、これまで実践事例が非常に少ない保健室での先端技術の活用方法の模索に取り組んで行く予定です。これらの様子については、改めてnote等で報告させていただきます。
Information
デジタル保健室について、詳しくは以下のnoteマガジン、学校ニュースリリースをご覧下さい。
インパクトラボでは、SDGsのスローガンでもある「誰ひとり取り残さない社会」の実現に向けて多様なステークホルダーの皆さんと一緒に活動をしてきたいと思います。
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