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Infinite Music Odyssey_002

閑話から求題

さて、今週も日曜日を迎えました。画面向こうの貴君よ、いかがお過ごし。
Infinite Music Odyssey——遥かなる音楽の旅路へ出航するお時間です。
第二回、今週もメインパーソナリティはわたくしI.M.O.が務めます。

わざわざ本稿を覗くほどの殊勝な読者かみさまであれば先刻御承知でしょうが、当方はこの一週間、白紙に向かってひたすら黒点を打っていました。只管打坐ならぬ只管打点。個々としては「無個性」なただの点も、夥しく群れると、洗濯表示マークやら、スプーンやら、はたまたジョン・レノンを形成するから、大変に愉快なものであります。映画『ファインディング・ニモ』において魚群が矢印やなにかを描いてみせる瞬間におぼえる、肌が粟立つ快感と似ています。

点描は微小ゆえ、魚というよりプランクトンに近いかもしらん

先に、「何かを目的として座るのではなく、ひたすら座るべし」と唱える曹洞宗の修行メソッドになぞらえて只管打点と書きましたが、実際のところ、ただただ何かに一念を注ぎ、実践するという点で、点描は曹洞宗的です。もちろん、スプーンやジョン・レノンを発生させるという目的が底流にございますが、そこに至るまでの道程は浄土なみに高遠。それゆえ、ともすれば目的の気配は薄らぎ、あとには手首を揮い点を打つ行為だけが残る。タタタタタタタタタタタタタタ…

——畢竟、だんだん飽きてくる。倦きてくる。厭きてくる。
エイエイと己を奮い立たせてそれでも紙面に粘っていると、覿面に精度が落ちる。
点同士でやたら重なって望まぬ濃さを生じたり、線を引いてしまったりする。

こういうときは潔く休息を摂るに限る。
レディ・メイドの紅茶と牛乳を混ぜて呑んだり、眠たい猫君を腕に抱えたり。
あるいは——音楽を聴くわけです。
今週のInfinite Music Odysseyはそんな折にI.M.O.が聴いている曲を五つご紹介。

このひと月、連載モノはあまり読まれない傾向にあるのを体感したので、
いっそ開き直って好き勝手に列挙していきたいとおもいます。

♫ 巡航プシクラオン/核P-MODEL

曼荼羅にヤッと飛び込んだら、こんな音が交響していそう。
あるいは、悩乱ノーラン映画『インターステラー』が構成した四次元空間の内側にて。
荘重な響きがリフレインされ、四肢の肌膚の末端まで快音が擦り込まれる。
「なにがなんだかわからん、だが確実に、歓喜に我が身が震えている!」
そんなふうな未知の幸福を、何度聴いても満身に浴びせかける曲であります。
タイトルも歌詞内容も趣意が掴めないまま触れても、チョー感電する。
宇多田ヒカルの『あなた』を連想する、軽やかな、入念な、神がかり。
目が離せません、平沢進。声が荘厳——

♫ Found A Job/Talking Heads

折に触れてデヴィッド・バーンへの好意を吐露してきたわたくし。
何を隠そう、彼が参画していたバンド、Talking Headsが大好きなのである。
発端は、年の瀬に購入したジョナサン・デミ監督作品『Stop Making Sense』。
本作はTalking Headsのライヴを記録した、音楽映画史上最高と目される作品だ。
音楽映画に燦然と輝く——そんな謳い文句に惚れ込んで大枚を叩くのがわたし。
さて、どんなバンドかよく知らずに鑑賞して、見事、魅了された。ぞっこん。
一過性の実験集団に過ぎないと評価されているようだが、そうは、おもわない。
この曲、「Found A Job」が目下いちばんのお気に入りである。
ライヴ演奏も捨て置けないのだが、ここは原曲を推したい。アウトロが鮮烈。

♫ 過激な淑女/Y.M.O.

字幕厭離の記事でもちらと言及しましたが、「過激な淑女」をご紹介。
高橋幸宏氏のヴォイス、どうです。随所で鋭くかけるブレーキがたまらん。
また、イントロから響くドラムも、甘〜い曲調にハリを与えている、気がする。
なかなか「過激」なことを詩的表現で唄っていて、甘〜いわけです。
ライヴ音源のアルバム『アフター・サーヴィス』には、この曲が見事に乙女を悩殺する様子が記録されております。こちらはブレーキ緩め。ゆえにベリー・スウィート。最強に甘い菓子クラブジャムンばり。これはこれで妙。

♫ Spiegel im Spiegel/Arvo Pärt

ここまで三曲、快楽に身を泳がすようなヴィヴィッドなものを示しました。
あまりに濃厚な味わいですナ…と食傷する方がおられてはこちらも切ないので、
目先を変える静謐な曲をおひとつ、お送りしたいとおもいます。
「Spiegel im Spiegel」。邦訳すれば「鏡のなかの鏡」。
ミヒャエル・エンデの作品にも同名のものがあります(岩波現代文庫)。
さて、ぜひ想像していただきましょう——鏡のなかの鏡というイメージを。
わたしは、自我の喧騒なき、透き通った静けさの風景を思い浮かべます。
Arvoがこの曲で創り出した風景は、まさしくそんな調べで貫かれています。
どんなに疲れた興奮が神経を熱く包んでいても、まっすぐ、風を送り込む。
10分のあいだ漂うシンプルなリフレインが、明鏡止水の境地に連れていく。
あとに残るのは悲しみでも、虚しさでもない。静けさ、快い。
自らの葬送曲を選んでよいのであれば、二念なく、この曲を挙げます。
点描に話を戻せば、点を打つうちに胸に鬱積する熱量をほぐしてくれますね。

♫ 無い!!/ゆらゆら帝国

さて最後に、ゆらゆら帝国から一曲。
ライヴで唄うときの激烈なフィナーレもいいですが、Arvoに続けるなら原曲をば。
復活の呪文のようにゆるやかに断裂した歌詞が耳に小気味よい。
海月のような、ふわふわ、ゆらゆらしたヴォーカルの歌声もよろしい。
ただ、腑抜けた響きとは異なり、ここでもドラムや高音のギターがハリを与える。
爽やかな律動に身体を乗せるうち自然とスフマートに口角が上がって曲は終わる。

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I.M.O.文庫から書物を1冊、ご紹介。 📚 東方綺譚/ユルスナール(多田智満子訳)