ふとした言葉の魅力
最近読んだ本の中に、個人的にとても好きな台詞があって。
いつでも取り出せるよう、
此処に書いておこうと思う。
宮本輝さんの「流転の海」。
内容はかなり重厚なので、その感想はまた別の機会にとっておく。
私のお気に入りの文は、
第十章、園田美根子さんがふと呟く台詞だ。
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「地球って、どうして、だんだん大きくならないのかしら」
「だって、たくさんの人が、毎日毎日 世界中で死につづけてるのよ。肉は、腐ったり焼けたりして消えてしまっても、骨は消えないわ。灰になっても残るでしょう。生き物は人間だけじゃないわ。犬、猫、虎、豚、牛……。私たちの見たこともない鳥や獣がいったい何万種類いるのか考えただけでもぞっとするくらいよ。こんどの戦争だけでも、どれだけの人間が死んだか。地球が出来てからずっと、死んでいった生き物の骨は地球の一部になっていったはずでしょう?だから、地球は大きくなってなきゃあ理屈に合わないと思うの」
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この本は、受け入れるには、なかなかに難儀な物語なのだけれど。
唯一「あ。自分と近い」と感じたのが、この台詞だった。
実は私も「物質はどこへいくのか」といつもどこか考えてしまっているところがある。
目の前から見えなくなったからといって、それはどこかで存在してる。
風は見えないけど感じることができる。
朽ちたものが姿を変えたとしても、それは分子・原子レベルで存在し続ける。
漂流・循環こそすれ、物質は「在り続ける」のである。
そうなると、私たちが「祈り」と呼んでいるものも、実は分子や原子レベルで物質として発生したり漂ったり沈澱したり、風に乗って影響し合って、いつか何処かへ作用しているのかもしれない。
「魂」だってそうだ。
そんな風に、科学的見地としても全てがミクロで存在してるような感覚があって、生活していて、いろいろ疎かにできないような気がしているのだ。
たしかに美根子さんの言う通り、分解された生物で地球は大きくなってるはず。
彼女の台詞に触れてから、ずっと考え続けている。(笑)
もう一方で、以前から私の中にあった朧げな感覚は、
「地球の物質の種類や総量はある程度決まっているのではないか」
ということ。
少なくとも有機的なものに関して。
それらがどんなに小さく分解されても、それぞれにいろんな組み合わせで再構築されたり新しい物質へと変化する。
そうして新しい生命が生まれて。
「地球に在るぶん」で循環してる…?
そう考えると、地球がやたら加速して大きくならない理由になるのかもしれない。
心の美根子さんと対話する。
ただ。その地球自身で対処できる範囲の物質、抱えられる容量、それ以上のものを、人間がいたずらに増やしてしまい、手にあまるものは無責任に捨て続けていて。
もしかしたら地球の容量オーバーになってしまってるのではないか…という心配がある。
その予兆として様々なシグナルが発せられているのでは…とも思う。
計測し続けて、本当に地球が予想範囲以上に大きくなり始める時がきたら。
それはいよいよ取り返しがつかない
「オーバーフロー」の局面になってきた時なのかもしれない。
🌿imo
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