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原動力

なんとなく僕のことを知ってもらう、そんな意図もあってnoteをはじめて、徒然なるままに綴っているのですが。
読者の方から「あなたは何者なんだ」というお声を頂いた。

そうね。

書けば書くほど混沌として(まあ、それこそ《人間らしいかな》なんてと思うものの)散らかっているので「何者なんだ」をお題に書こうと思う。

タコ紹介

その人が「何者か」を知るためにはタコ紹介が良いと、僕は思っている。
自己ではなく他己の紹介。

僕が僕のことを語るとしたら、自分の理想フィルターで、すぐにカッコつけたりふざけたりしてしまうから、他の人から見た僕を紹介してもらうのが芯に近いのではないかと思っている。
僕は、ほとんどのことに対して、線でなぞって掘るのではなく、外側を掘って存在を浮き彫りにする方が立体的で面白いと捉えている。

まあ、そんな思考(嗜好)もあって、以前、無名人インタビュー(@qbcqbc)を受けたんだけど「特にわからない人だった」というお褒めの言葉をいただいた。

https://note.com/qbcqbc/n/n613ae670fe92?magazine_key=mc3ab1dbfca5b

だからタコ紹介が増えれば一番いいんだけど、まあそれは、いつでも、みんなでワイワイやってもらうとして(コメントでもなんでも受け入れ態勢バッチリっす)。
今回は、僕の「心に刺さった言葉」を紐解いていこうと思う。

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《↑タコに見えるこの具、実はイカなんだってさ(余談画像)》

この長尺なnoteを読んでくれている皆さんは、もうお気づきのことだろう。
僕は言葉遊びが好きだし、良いも悪いも言葉には大きなチカラがあると思っている。
僕の心に刺さった言葉は、僕が「何者なのか」という混沌から抜け出せるのではないかと考えた。
もしくは更なる混沌を生み出すことになるのか、楽しみである。

Sさんの言葉

私的倫理観を基に行動する。

尾道の某チョコレート工場で働いていた時「そろそろ俺たちも《社訓》のようなものを掲げた方が良いのではないか」という規模になり、役員会議を設けた。
これ決めるの時間かかるだろうなと思っていた僕の想像とは裏腹に、社主・中村真也(@ushiochocolatl)がズバッと言った。
セガサターンくらい脳天直撃した。

いま、世の中では情報が氾濫し公と私の境界線の曖昧さは、悪循環も好循環も融通無碍に変化する。
そんななか、サヴァイブするために必要なものは他ならぬ私的倫理観だろう。
それを熟成しブレンドし未来に残すために、あらゆる失敗や成功を自ら呑み込み咀嚼し、消化(昇華)と吸収(急襲)を繰り返し、血と成り骨と化し個として歩き出す。

その時、このように書きだしたわけではないが、僕はそう捉え、素晴らしい社訓だと感銘を受けたのだ。
僕らが大事にしていたのはそれだった。

なかなか言葉にできないから社訓に盛り込むのは難しい(上の僕の文章が社訓だったとしたら何が何だかわからんから離職者続出でしょ)と思っていたら、一発で役員会議終了。かっこいいやん。

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私的倫理観がしっかりとあって行動すれば、立ち返ることも成長することもできて、いろいろな問題が解決できる解釈があるんだけど、いまは書かない(超長尺にになるし)、各々の私的倫理観で捉えて「そうかー」と昇華してみてほしい。

やべえ。
割愛しないといけない文字数になる予感(だいぶ割愛してるんだけど)。

BCKの言葉

おにぎりが私を愛しているかはわからないし、関係ない。

以前の記事でも紹介したのだが(「雲は白リンゴは赤、8月3日は?」)僕が感じていた「愛」についての捉え方、扱い方を、端的にズバッと例えてくれたのはBCK

https://note.com/imoballondor/n/n1c1ebce70b40

もう朝が来ようとしている珈琲屋で(珈琲を呑まず)ビールを片手に数人で語らっていた、「愛」という不確かなものを確かに感じることが出来る幸福について。

偏屈な僕の思考とバチッと重なった、その言葉。
思考が重なれば言葉は必要ないし、言葉が重なれば思考は必要ないだろう。

自分の感性に対して肯定的になれる愛に溢れた甘美な言葉だ。

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Mchocollonの言葉

30歳越えて出会ったやつで、まだこんなやついるんだ。

チョコレートの仕事終わりにカフェフロアで流れる爆音の「TRY ME」にあわせて踊っている僕をみてMchocollon(@mushiro)が放ったひとこと。

以降、30代ってもっとしっかりせなアカンねやって思った。
なんなら、その時、たぶん35歳とかだったしね。

Mっちさんの台詞

アツシ? 全然連絡ないし、なにしているかわからん。

18歳から25歳まで東京で芝居に打ち込んでいたのだが、演出家のKさんには多くの言葉をかけていただいたし、これ以外にも、沢山あるんだけど今回は、この言葉を紹介しよう。

25歳の頃、僕の芝居観を大きく揺さぶる出会いが重なって、芝居の道を諦めた。次の演目の稽古がはじまるって時に、突然、もう辞めると言い出したもんだから「裏切者!」と言われながら、ろくに話もせずに稽古場を飛び出した。

それっきり会わなくなって10年が経った。
僕の所属していた、その劇団はついに解散するらしい。
広島から東京に向かい、最終公演の千秋楽を観に行った。

「同級生たち」というお芝居で、使われなくなった稽古場で20年ぶりに集まった同級生たちの物語。

「弟は? いま、なにしてんの?」
「アツシ? 全然連絡ないし、なにしているかわからん。」

あるシーンで僕の姉役をよく演じていたMっちさんが言った台詞。
突然、弟役として僕の名前がでてきて、涙が止まらなかった。

モヤモヤしていた全部が涙とともに流れ、心底、この人たちとお芝居が出来てよかったと感じた言葉。
芝居の世界の台詞であろうと、なんであろうと、こんなに涙が溢れる言葉はなかった(めっちゃ個人的にだけど)。

因みに千秋楽は僕の誕生日9月28日だった。
その日に僕の愛した劇団が解散するとは、ただならぬ愛情を感じずにはいられない。

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*****

えっと。
長いね。
まだ、あるんだけど、これじゃあ読み切れないね。

ここまでで、ここ5年の話だからね。
これでも割愛しまくっているんだけど(「TRY ME」の件を全カットすりゃあよかったのか。いや、焼け石に水だろ)。
大方の予想通り、更なる混沌に向かっていると言えるだろう。

えっと。
とにかく、こんな風に出会った言葉が、僕を突き動かす「言動力」になっています。
その人の原動力を探る、これが「何者なのか」を紐解くカギとなるのではないでしょうか【前編】でした(急遽、前後編にすることにします)。

【後編】の「刺さった言葉」はこちらの予定。

20歳には20歳の良さがあるんだから。

俺はいまでも冒険家を目指している。

どんな仕事でも夢は与えられる。

親しき中にも礼儀あり。

お楽しみに。

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