2+2=5
レディオヘッドの曲《2+2=5》が好きで、昔は単に「成立していない」ことに対して、その、斜に構えた精神のかっこよさに惹かれていた。
最近、ただそれだけのメッセージではないと気が付いたら、どんどん世界が拡がって、また鳥肌が立つのだった。
もう鳥肌実と、改名しようかと思う程だ。
問題の解き方
兼ねてから日本の算数問題の解き方に疑問を感じていて、これは「目標設定ができない」「目標達成の為に如何なる戦術を取るか分からない」という状況の原因なんじゃないかと思っている。
近年、変化しつつあると思うのだが、ひと昔前は、算数の答えは1つしかなかった。
2+2=〇
という問題を解いて「5」が正しいという評価を得る。
2〇〇=5
「達成目標」である「5」が示された、この問題を解く場合ならば、いくらでも解答が得られる。
海外の算数は、このような問題が出るらしいね。
正統にいくなら
+3
だけど
2(2-0.5+1)
でも「5」という目標に達する。
日本人は「過程を大事にする」と、どこかで聞いたが、最短、最速、無駄なく正解を叩き出す訓練を受けている。
もちろん、それも凄くいい、それを否定するつもりはない。
ただ、「それしか正解はない」という固定概念の形成を助長しているとも思える。正解が得られなかった時に、あまりにも凝り固まってしまい、諦めてやいないだろうか。
回り道をしても、どんな戦術をとっても目標を達成する。
この考え方も正解とされるならば、最短では見えていなかった景色を見ることが出来るという「過程」も評価される。
それが「過程を大事にする」こととも言えるのではないだろうか。
回り道をすることで思いもよらぬ発見があり、この問題は不正解であったとしても、ある問題では大いに役に立つと思う。
尾道のホットスポット「みち草」。回り道とは少し違う、違うね、えへへ。
いま問われた要望「のみ」応える。
もちろん、それで足りるのだろう。
だけど、僕らは、計算をするロボットではない。
僕はそう思う(だからといって長尺な文章になって読者が退屈してしまう、という僕の行為は褒められたものではない)。
なんなら目標を変えてもいいんじゃないか。
2=5-3
この解答でも、僕はOKコンピュータだと思う。
まあ、所詮ただのひねくれ根性の塊が提案する戯言と思ってほしい。
0を目指す
大昔から哲人たちは「中庸」の難しさや重要性を述べてきたし「0」の概念は圧倒的だ。
100m走だって、みんな0秒に近づく為に走っている。
僕らは0に魅せられていて、0を目指している。
0秒を叩き出せば、誰も勝てない。サッカーのあと、何してるんかな?
算数も「=」は、つまり「0」にすることが目標のゲームだ。
ゼロ、ゼロ言っているから、A2C2(アツシ通)の人たちはB'zの《ZERO》の話に浮気するんだろうと予測するだろう。
回り道の件もあるし、それは、この布石だったんだろう、と。
しかし冒頭で述べた通り、今回は浮気せずに《2+2=5》の話で締め括りたい。この曲がどうなれば0になる?
1+2+2=5
2+2=5-1
できるだけ最短で0を目指したらこうなる。
プラス1
マイナス1
とは「生」と「死」だ。
そしてそれは人生において人間だけでなく、この世に存在する、なにもかもが経験する循環のはじまりとおわりなのだ。
生と死による循環
また、鳥肌が立った。
《2+2=5》は「なにもかもが経験する《以外の》部分」を表した曲なのだ。
こんなことばかり考えているので、僕はいつも胃が痛い。
こうして、この曲について自分なりの考察が生まれて、さらに深めるべく、僕としては珍しく《2+2=5》を検索した。
そう、珍しく。
iPhone SEがバキバキということもあるが、僕は思い浮かんだ自分の考察を発信するまで、あまり検索しない。
こう見えて、すぐ影響受けちゃうタイプ(ホームセンターで買い物中に流れているオリジナルソングがいつまでも頭から離れないタイプ)だから、その人の言葉になってしまうのが怖いんだ。
各方面から賞賛の嵐、MCねこぜの《パワードスーツ》はこちらのブランド
裏付けや事実確認、より正確な情報を得たい場合に検索する(検索しなさすぎて以前《Zepp大阪》を《Zeep大阪》と書いていた部分を指摘され、耳まで赤くなったことは内緒の話。もちろん現在は修正している)。
そんな僕が、今回の件に関して検索をすると、そこには、とても面白い出会いが待っていて。
また鳥肌が立つのだが。
それは次回の【1984】で語らせもらうことにする。
タイトル変えるかもだけど。
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