イマーシブアートメディア "No Procenium"
はじめに
「イマーシブ業界」最大のメディアから「日本で注目のイマーシブシアタークリエイター」として取材を受けました。
No Prosceniumってなに
No Proceniumとは、2013年に創設された、世界最大のイマーシブ・アート&エンターテインメントメディアです。主に、ウェブメディアの記事と、ポッドキャストを中心に配信しています。コンテンツの内容は「イマーシブ」と付くものは広くカバーしています。このメディアに取材をされれば、プロの仲間入りというような、イマーシブ業界のリードメディアにまで大きくなりました。
また、ウェブメディアとしての機能だけでなく、世界中のイマーシブクリエイターの集まるイベントも主催しています。
姉妹サイトであるEverything Immersiveでは、世界中のイマーシブシアターのイベントが一覧になっており、予約することも可能です。(正直ベース、どこまでカバーされているかは、謎な部分ありますが…)
日本語訳
ただ、英語がだいぶ学術的で、Deep Lも役立たずだったので、ちゃんと日本語訳しました。基本的には本文ママですが、一部意訳です
少々長いですが、ぜひ読んでみていただけると、どんな作品を作っているのか、ちょっとした答え合わせもできる記事になっています。
日本の革新的な
本格イマーシブ・シアター
イマーシブ・シアターの波が世界中を席巻し続ける中、日本では劇団「デイジードーズ」がこの新しい芸術形態の進化を牽引する
By Benjamin Beardsley
元の英文記事
昨年12月、私は日本の民話「浦島太郎」を見事な没入型アートに落とし込んだ『Dancing in the Nightmare』を鑑賞する機会に恵まれた。この作品は、アートホテル BnA_Wallとのサイトスペシフィックなコラボレーションで行われていた。BnA_Wallは、14人のアーティストがデザインした26の部屋と、3ヶ月ごとに新しい壁画が飾られる4メートルの高い壁を中心としたホテルである。『Dancing in the Nightmare』は、このホテルのユニークな空間を最大限に活用した、美しいモザイクアートのような作品だった。
終演後、daisydozeの代表であり、作・演出の竹島唯さんにインタビューを行った。主に作品のテーマや、言語を超越した、真のボーダーレスな没入体験を目指す彼らが直面する課題についての話を聞いた。しかし、ここでいうボーダーレスとは、単に言語や文化を超越するだけではない。daisydoze(旧Dramatic Dining)は、直感的と説明的な体験の境界線、観客と出演者の境界線、作品世界とそれが行われる環境の境界線、それぞれの境界線を消し去ろうと努めているのである。
彼らの持つ「物語の一部になる」という表層的な没入ではなく「真に没入できるボーダレスな演劇体験を作る」というビジョンは、挑戦的であると同時に野心的でもある。これを実現するには、文化の根底にある普遍的な人類の共通点を掘り起こし、表現する必要があり、実現には演劇だけでなく、様々な領域から取り入れた革新的な作品制作のテクニックや、高度な技術が必要である。
イマーシブシアターのような新しい作品形態が受け入れられるのは決して簡単ではないが、特に、保守的な日本での挑戦は容易ではない。日本人は一般的に、それぞれの作品を演劇、ダンスなどの既存のジャンルに当てはめたがり、変化には極めて慎重である。また、観客視点においても、作品を感覚で楽しむのではなく、自分の役割を明確に理解した上で、間違いのない適切な行動をとりたいと考える。このようなスタンスは、文化を超越した体験を創造しようとする新進気鋭の劇団にとって、大きな障壁となる。
また、大きな障壁の一つは、資金調達である。竹島さんによれば、イマーシブシアターという新しい芸術形態は、日本でいう演劇の定義に合致しないという理由で、助成金を断られたことがあるという。日本における演劇の定義とは「指定された空間で行われ、観客は着席し、舞台上で役者が起承転結のあるストーリーを展開し、観客は受動的に鑑賞すること」であるという。
しかし、daisydoze作品は、観客の一人一人を、極めて個人的な、個別の旅に連れて行くような体験である。物語の要素は、一つづつパズルのピースのように明かされ、古代の夢の余韻が、時を超えて非言語で語りかけてくる。つまり、彼女たちが作ろうとしている芸術形態は、既存の演劇ジャンルには全く当てはまらならない、新しい芸術なのである。
この、ジャンルを超越した新しい芸術形態の壁は、国からの資金調達だけではなかった。
世界中のイマーシブシアターのクリエイターは、観客の期待値をどうコントロールするかという課題にも直面している。観客視点でいえば、ダンス・パフォーマンスは「こうあるべき」というジャンルの定義がある。演劇においても、アートインスタレーションも、同じことが言える。そして、観客は、クリエイターがその期待に応えてくれることを望んでいる。特に、礼儀正しさが最優先される日本では、観客は自分がどういう体験を得られるのかを事前に予測しておくことで安心する。作品を正しく解釈し、その作品を正しく体験できているかを知りたいのだ。
これは、daizydozeの斬新的なストーリーテリングのアプローチとは相反するものである。daisydozeのイマーシブシアターは、作品を根本的に解体し、各個人にそれぞれストーリーの要素を断片的に提示する。観客自身は、提示された物語の断片を自分の脳内で再構築する。これにより観客を、意図的に現実世界から引き離すという、高度な作品制作の技術と斬新なアプローチをとっている。
daisydozeの公演は常に完売している人気の劇団だが、これまでこの新しい芸術形態へ興味を持ってくれる観客を獲得するのは簡単ではなかったという。「ダンスはとても楽しいけれど、その奥にある深い意味がわからないと言われることが多かったのです」と竹島さんは言う。大きな力になってくれたのは、広告代理店で働いていたクリエイティブ業界とのコネクションからきているという。「広告業界やクリエイティブ業界の人々は、常にユニークで独創的なものを求めています。彼らは、答えのない作品をみて、自分なりの解釈が求められる新しい経験を受け入れる準備ができていて、喜んで受け入れてくれるのです。」
daisydozeは、観客を作品世界に誘惑するために、マインドセット戦略と呼ぶものを実行している。それは次のようなものだ:
ホテルの外で、観客はコートとバッグを預けるように言われる。これは、ありふれた日常を捨て去り、作品の世界に身を委ねるようにというサブリミナル的な暗示を意図的に作っている。
次に、ホテルの壁画が印象的なアトリウムを見下ろす。居心地のいいシックなバーへ向かう途中で、実際のホテルに泊まる時のように、宿泊のチェックインシートへサインを求められる。また、バーには「催眠」と「発見」と書かれたカラフルな2種類のショットが用意され、まるで不思議の国のアリスのように観客を魅了する。
しばらく待つと、観客はチェックインシートに書かれた番号の部屋に招かれる。部屋に一人きりになった観客は、ひとつひとつアーティストによって作り込まれた部屋から、これから起こる物語を想像する。何かが起こった後なのか、あるいはこれから起こることなのか、観客はこの一人の時間に、感覚を拡張し、探求が始まる。
物語が進む中で観客は一人ずつ、自分だけの物語の手がかりを見つけ、地下1階へと導かれていく。スピーカーから流れる誘導瞑想が、観客をさらに夢の奥へと導く。
米海軍の睡眠プロトコルを応用したこの誘導瞑想は、ダンスのシーンへとシームレスに移行する。観客は、気づかないうちに無意識の領域へと意識を運ばれ、竜宮城のある水の世界に浸っていく。この深く個人的な体験は、BnA_Wallの個性的な部屋や空間を絶妙に生かしながら、出演者によって個々に案内されながら展開していく。
これらの要素はすべて、偶然を装いながら緻密に計算されていた。この緻密な計算により、観客を日常世界から解き放ち、作品の幻想的な世界へと没入させていく。パフォーマンスは完全にノンバーバル(非言語的)だが、空間と空間の切り替えには、カードに英語と日本語のテキストが用意されていた。
非常に斬新な作品でありながら、彼らの作品が毎回完売というのも、この戦略的な作品の作りと、クオリティの高さからは大変納得できる。
すべての優れた戯曲は、人間の状態に対する深い洞察を表現しているが、この『Dancing in the Nightmare』も例外ではなかった。愛と喪失、故郷への憧れといったテーマを、現代日本独特の美意識で美しく簡潔に表現していた。言葉に頼ることなく、私を引き込み、私自身の無意識の恐怖や憧れの領域を明らかにしてくれた点で、この作品は格別だった。同時に、このアート空間にパフォーマンスを加えることで、没入型アートの新しさを巧みに超越していた。
文化の最先端にいることは、直面するチャレンジも多い。国際的な名声がなければ、ここで新しいものを受け入れてもらうのは容易ではない。だからこそ、竹島さんと彼女のクリエイティブパートナーであるアートディレクターの近藤香さんは、真にボーダレスな没入体験を創造することで、国際的な観客を惹きつけ、日本におけるイマーシブ・シアターを世界に発信していきたいと考えている。”... 浮世絵がフランス人にその美しさを見出されて人気を博したように、村上春樹や草間彌生がまずアメリカで人気を博し、逆輸入で日本に入ってきたように"。