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「都会のオアシス」

金融、物流、輸送、観光、教育、娯楽、ヘルスケア・・・
多くの国際ランキングで上位に格付けされる「先進国」!
サンスクリット語で「ライオンの町」を意味するシンガプーラが由来となった、シンガポール

大航海時代以降、ポルトガル、オランダの支配を受け、1819年にイギリス東インド会社で書記官を務めていた、トーマス・ラッフルズが来てからはイギリスに支配されるようになり、1824年イギリスの植民地となります。

同じくイギリスの植民地となっていたインドやオーストラリア、中国大陸同様、アヘンや茶などの交易、中継地点として、そして当時他のヨーロッパ諸国の植民地下にあったマレー半島で産出される、天然ゴムやすずの積出港として発展して行きます。

この時期、すず鉱山や天然ゴムのプランテーションにおける労働力として、中国南部、インド南部、インドネシアから多くの人々が連れてこられ、多民族国家を形成し、現在に至っております。

民族構成は、中国系、マレー系、インド系
言語は、マレー語、英語、中国語、タミル語(南インド)
宗教は、仏教、イスラム教、キリスト教、ヒンドゥー教

まさに植民地の歴史から生まれた多民族国家であり、多様化に満ちた国であります。アジアが世界に誇る経済、金融の中心都市シンガポール誕生には、多民族の団結と結合があったのです。

熱帯植物園の「シンガポールボタニックガーデン」

このシンガポールには、他にも世界に誇る名所があります。

2015年に世界文化遺産に登録された、都会のオアシス

シンガポールボタニックガーデン(シンガポール植物園)

イギリス東インド会社のトーマス・ラッフルズ書記官は、シンガポールに来てから3年後の1822年に、果物、野菜、香辛料などを産出する経済的に重要な栽培穀物の価値を研究、見極める目的で、実験用植物園を作りました。

ところが、トーマス・ラッフルズが本国イギリスに戻り1826年に亡くなると、財政難から実験用植物園は1829年に閉鎖されます。

30年後の1859年、今度は植民地政府から与えられた32haの土地に、農業園芸協会が植物園を設立します。これが現在にいたるシンガポール植物園(シンガポールボタニックガーデン)の始まりです。

シンガポールボタニックガーデン

監督官及び景観デザイナーとして雇われた、ローレンス・ニーベンが設計した植物園は、英国式風景庭園を基礎としており、内部の配置は、南から北に「タングリン・エリア」「セントラル・エリア」「ブキット・ティマ・エリア」の3つのエリアに分かれてます。エリア毎に湖があり、種類別に庭園が造られてます。

「タングリン・エリア」には、植物標本室、植物園芸図書館、工作教室などがある植物センター盆栽庭園サンガーデン白鳥の湖などがあります。

「セントラル・エリア」には、中南米や東南アジア等の熱帯地方に分布する1,000種以上の生姜が集められている1haの広さのジンジャーガーデンがあります。

また、9.9haの敷地に地球誕生から植物の進化の歴史を辿ることができるエボリューション・ガーデン(進化園)があり、散策しながら古代からの植物を見ることができます。その他にも、熱帯雨林のエリアや、映画上映やコンサート、演奏会場として利用されるシンフォニー湖もあります。

そして、「セントラル・エリア」には、シンガポール植物園のハイライトでもある、「国立洋ラン園」(ナショナル・オーキッド・ガーデン)があります。入場料の無いシンガポール植物園において、唯一入場料が必要なガーデンです。

1,000種を超える原種の洋ランと2,000種以上の交配種の洋ラン、約6万株が広さ3haの敷地に、癒しの壮観を作り出してます。ここを訪れた著名人の名前が付けられた新種の蘭が展示されている「VIPオーキッド・ガーデン」も見どころです。

洋ランが咲き乱れる「ナショナル・オーキッド・ガーデン」

「ブキット・ティマ・エリア」は、世界遺産の登録エリアに含まれませんが、エコ湖、エコ庭園、観葉植物庭園などが見どころであり、ユダヤ系シンガポール人のジェイコブ・バラスが寄贈して作られた、子供のための「ジェイコブ・バラス・チルドレン・ガーデン」が家族で訪れる人達の人気のガーデンです。

滑り台のあるツリーハウスや迷路、光合成がどのように起こるかを解説した展示など、子供達が、自然と触れ合いながら、遊んで学んで楽しめるガーデンです。

シンガポールが多民族国家形成の歴史となった、ゴムのプランテーションの名残なのか、ここ、シンガポールボタニックガーデンでも19世紀後半、ゴムの研究所としてゴム産業発展、及び、自動車タイヤの生産事業に大きな影響を与えて来ました。

シンガポールで登録された、初めての世界文化遺産として
熱帯植物園として、初となる世界文化遺産として
アジアの植物園として、初めての世界文化遺産として

イギリスによる植民地の歴史と一緒に始まったシンガポールボタニックガーデンは、シンガポールがアジアを代表する世界都市発展までの過程を、歴史の生き証人として、今もなお、訪れる市民や観光客に伝えているように思えます。

広大な敷地に無数に並ぶ植物の宝庫、今週も来週も、週末の余暇を楽しむ市民に、外出を楽しむ家族に、忙しい日々を忘れさせてくれる「都会のオアシス」の役割を果たしながら。


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