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休職四日目

仕事しないと幸せを感じるのか?

仕事がなければ幸せか?

休職する前も、仕事しなかったら幸せなのか?
ということを考えていた。
(※仕事せずに給料がはいると言う前提)
とはいえ、休職であり、数ヵ月すれば復職するのである。
仕事に対する価値観は変わるかもしれないし、変えたいとも思っている。
休職経験のある人は多くはないだろう。
ケガや感染症や病気など含めて一定数はいると思う。
今回は適応障害ということで、こころの風邪をひきました。

  • 私が変わるか

  • 環境が変わるか

どちらかしないと復職しても同じことが起こる。
どこかで休んで元気になれば、またバリバリ働けると思いたい節もあるが、元気だけで乗り越えられるものではないだろう。

そして、何かしらの変化が必要であり、変化したいと思っている

仕事に対する価値観

仕事をしなければ幸せなのか?
はじめの自問に戻るが今回こころの風邪をひいた要因は二つある

  • 外的要因

  • 内的要因

外的要因

コロナ含めて仕事の質やプレッシャーが変わった。それまでは決まった仕事を毎年きちんとこなすことでクリア出来ていた。
仕事としては当たり前かもしれないが以下の点が変わった点である

  • 世の中の変化に合わせたシステム変更

  • 社内だけではなく外部の人も使うシステム

緊急性と緻密さが求められるようになった。おもしろいといえばおもしろいが、以下の自身の内的要因によって、足りない能力が求められる。

内的要因

神経発達症ではないが、以下苦手な特徴がある

  • 物事を整理する

  • 段取りをつける

  • 多くの人を巻き込んで、各部署の立場を考慮して、マネジメントして要件をまとめる

自身の特徴としては、その場での理解や解決の糸口となる考え方のようなものは処理速度とワーキングメモリによって処理は可能であり、それほど大きなズレはないだろう。
検査の結果の記事はこちら



ただし、それに対して『知覚推理』と『言語理解』が相対的に低い。つまりは適切な言葉を使って、資料作成が整理が下手で、さらにはどこの誰がこんな風に思ってるから、事前にこれとこれを調整した方がいい、みたいな対応は苦手とする。

※これは今思い出した、自分の感覚であるが、出口がひとつしかない。つまりは口しか言葉をアウトプットできないが、色々なイメージや考えが流れ込んで同時並行的に伝えたいが、入り口でつまる感覚がある。そして、『言葉』や『文字』と言う、時系列に並べて伝える必要のある伝達手段では、考えが整理できない感じであったり、『間に合わない』という感覚がある。
さらにそこに字を書くとなると、文字化するためにも処理が必要になる。スマホやPCで書く分にはシンプルな作業だが、ペンをもって紙をおさえて文字の形を書くとなると、複雑な作業であり、それまでの考えの整理にさらなる負荷がかかる。とてもではないが、整理なんてできるわけがないと思ってしまう(大抵の場合は書くこと事態にそれほど抵抗がない人が多いのだと思うが、書いたり消したり、さらには野外でメモをとらされたりしたら、あり得ない五十苦、六十苦である)

仕事の喜び

仕事が嫌いなわけではない。誰かのためになったり、少し便利になったり、喜ばれたりするのはとても嬉しい。
シンプルなことを作業したり、複雑なことでもその場で話し合うとかはとても楽しい。
その後、まとめたり、議事録作ったりが手間であるが、この手間が『給料払ってる意味』何ですとか、『人があまり好きではないことをするから給料が発生するんです』と言われると、ちょっと困ってしまう。

自身の特性にあった仕事を見つけたい。

社会の役に立ちたい。

自分の持っている(誰もが自分にしか持っていない能力がある)を今の世の中、今の社会に役立てたい。

引き続き自己分析していきます。

次を担う世代のために、リモート稽古のために空手着や道具作成やリアルな稽古出張のために使います。