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美しいプレー、美しい仕事。

三度のメシよりスポーツ談義が好きな友人が言った。
「スペイン代表GK デ・ヘアのプレーは美しい」
僕もそう思う。

ある種の仕事は「すごい!」というよりも、「美しい」という方がふさわしい何かを帯びる。

「美しいプレー」と聞いて僕がイメージするもの。ベッカムの極端に身体を傾けたフリーキック。川相昌弘選手(巨人)のバント。イチローの流し打ちのレフト前ヒット。松井秀喜と対決した時の遠山奬志(阪神)の外への変化球だ。どれも少し古い。

ここ数年だと、美しいと思ったのは 2018年のロシア・ワールドカップでの日本 対ベルギー 戦で、決勝点となったベルギーのカウンター。きっと覚えている人は多いと思うし、思い出したくない人には申し訳ない。

勝利目前までいった日本にとっては悪夢のようなプレーで、きっと日本中で悲鳴が上げただろうし、僕も「まじかよ…」と呆然した。
けれども「なにか、とてつもなく美しいものを見てしまった」と思ったことも印象に残っている。

そう思ったのは僕だけではなかったようで、「ロストフの14秒」というドキュメンタリーまで作られていた。それくらいに美しかったのだ。

美しいプレーは、職人の業?

「美しいプレー」について Twitter で話をしていたら、偶然にも本職のゴールキーパーの方も加わりお話を伺えた。インターネットはおもしろい。

曰く「派手なプレー」と「美しいプレー」はちがうという。準備に準備を重ねた上で、ギリギリのところで届いたプレーに「美しさ」を感じるなど、「準備」の大事さを説いていたのが印象的だった。

「美しい仕事」には徹底した準備が不可欠なようだ。そこには、必要性があり、結果、「なるべくしてなった」という必然性がある。ある種のクラフトマンシップ(職人の技)とも言ってもよいのかもしれない。

先のベルギー戦のカウンターについて、本田圭佑選手がコーナーキックを蹴った瞬間、サッカーをよく知るある人は「蹴るな!!」と叫んだという。準備を重ねた美しいプレイは、見える人には「その先」が見えてしまうのだろう。

美しい仕事はいたるところに

美しい仕事はスポーツ以外でも見ることができる。

僕はバーでお酒を飲むのが好きだけれども、カウンター越しに見えるバーテンダーさんの手さばきを見るのも好きだ。100回作ったら100回とも空間上の同じ点を通過するのではないか、と思わせるような正確でムダのない所作は美しい。

鉄板焼の専門店でつい見とれてしまうのは、スライスしたニンニクを焼く仕草。たくさんの細かいニンニクを鉄板の上で素早く返し、表裏を誤差なくキツネ色へと炒めていく2本の鉄板ナイフの動きは、ほとんどダンスだ。

つい、たべものばかりになってしまったが、他にもあるはず。
そうだ、たとえばあれ。JRの「みどりの窓口」。

新幹線のチケットを買う時、つい ”面倒くさい注文” をしてしまったとしても、顔色ひとつ変えず、すさまじい速さで画面をタッチしていく駅員さんの指使い。ピアニストの指のようだと見とれているうちに、あっという間に終わってしまう。

どれも待っている時間が、苦にならない。

美しいプレーは誰のもの?

僕もだけれども「美しいプレー」について熱弁している時、人は笑顔になる。「美しいプレー」の半分は、実は観客のものなのかもしれない

一方、「すごいプレー」は、どこまでいってもプレイヤーのものだ。天賦の才というか、常人離れした何かは、ほとんど超常現象に近い。

100mを9.58 秒で走るウサイン・ボルトは衝撃だった。美しさを感じる余地もなく、ただ衝撃。あの「すごいプレー」は、どう考えてもボルトのものだ。ボルトがすごい。以上。

「美しいプレー」は誰かが「美しい」と思って初めて生まれる。プレーの中に「美しさ」を見つけるという体験、それ自体が見ている人にとっては特別なのではないだろうか。

「ひょっとして、この美しさに気付いているのは私だけ?」そんな小さな発見感と優越感を抱かせてくれる何かがある。いや、もちろん、気付いているのは自分だけなんてことはなく、仕事人も織り込み済みで、準備を重ねているからこそできるのだとしても。

「美しさ」を見つけると、自分ごとになる。その体験の先に、ファンになったり、議論が始まったり、文化が生まれるのかもしれない。

美しさの先にあるもの

不思議なくらいに、私たちは美しさを見つけてしまう。レモンを見るとすっぱくなり、雪をみるとダイブしたくなるくらい、美しさを勝手に見つけ出してしまう。

美しさ。それを僕は世界からの道標だと思っている。
「そうだよ、そっちを目指せばいいんだよ」というサイン。

最後に、「美」について、私がもっとも好きな言葉を紹介したい。

美は、隠れた自然の法の現れである。自然の法則は、美によって現れなかったら、永久に隠れたままでいるだろう。
(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)

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