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(対人)コミュニケーション学と心理学

こんにちは!

対人コミュニケーションについて研究・教育をしている大学教員の今井達也です。

簡単に私の経歴を書きますと、青山学院大学で英語の教員免許を取った後、アメリカの大学院で対人コミュニケーションについて学び、博士号を取得。その後、某私立大学で対人コミュニケーションの授業を担当しながら、海外のジャーナルを中心に対人コミュニケーションについての論文を出版してきました。
(私の業績や教育活動などはこちらをご覧ください。Twitterはこちら。)

今回はコミュニケーション学と心理学の関わりについて、説明、とまではいかないので、個人的感想を述べます。(心理学については、体系的に学んだことがないので、想像の域を超えない点をご理解ください。あと心理学にも色々と細かい専攻があるのですが、それも良くわからないので、主語デカです。)

  • 心理学とコミュニケーション学の違い?

  • 対人コミュニケーション学って何?

そのあたりが、少しクリアになるのでは、と期待しています。

少し自分語りが入ってしまうことをご了承下さい。と、言いますのも:

著者のTwitter

「いや、結局note書いてるんかい!」

というツッコミはスルーさせていただきます。まず、私の研究者としてのアイデンティティーはコミュニケーション学にあります。

私は学士(一般的に4年制の大学)は、青山学院大学で英語教育を学び、修士課程はミシガン州立大学で、博士課程はテキサス大学で、それぞれ対人コミュニケーション学を学びました(大学院は修士課程(2年程度)と博士課程(最低でも4年。長いと8年位)に分かれており、修士課程進学までは俗世間に戻ってこられますが、博士課程に足を踏み入れると、一般的に俗世間に戻ってくることは難しいとされているとか、なんとか)。自慢ではないですが、ミシガン州立大学もテキサス大学も、対人コミュニケーション学としては世界でも上位の方であり、アメリカにいれば「おお」と少なからず、驚いてもらえます。(日本ではハーバードあたりにいないと、無意味化されますが)。調べたところ、QS World University Rankingsでは、コミュニケーション学において、テキサス大学は世界5位、ミシガン州立大学は世界9位でした。流石にほんとかよ、という感じですが。

QS World University Rankings

修士課程、及び博士課程を、合計8年くらいかけて終わらせ、ある程度の自信と共に日本に帰ってきたのですが、そこで待ち受けていたのは厳しい現実でした自分よりも遥かに若い日本の大学院生たちが、私では到底、受かることのないジャーナルにバンバン論文を出版しています。「自分の積み上げてきたものは一体、、、」(というか、若い人本当にすごい。信じられないくらい。)

少し説明しますと、アメリカのコミュニケーション学というのは、非常に多様な側面を持っています。全米コミュニケーション学会のHPに、コミュニケーション学の分野一覧がありました:

Applied Communication
Communication Education
Electronic & Digital Media
Health Communication
International & Intercultural Communication
Interpersonal Communication
Legal Communication
Mass Communication & Media Literacy
Mediation and Dispute Resolution
Organizational Communication
Performance Studies
Political Communication
Public Address
Public Relations
Rhetorical Criticism
Small Group Communication
Visual Communication

私も全ては把握できていませんが、つまりコミュニケーション学は、マスコミュニケーション、広告、言語学、非言語コミュニケーション、レトリック、政治、そして映画や舞台パフォーマンスまで入る、欲張り学問なのです。

私が所属していた修士課程(ミシガン州立大学)と博士課程(テキサス大学)には、対人コミュニケーション専攻があり、それが私の興味関心でした。対人コミュニケーション学とは、まさに「対人」のことを扱います。例えば、恋人との関係や、家族関係、友人関係などが含まれます。対人関係につまづき続けていた私にはうってつけの学問でした。

下は、対人コミュニケーション学の内容の大半を盛り込んだハンドブックの表紙です↓

対人コミュニケーション学のハンドブック(ハンドではもはや持てないけど)

上記のように、対人コミュニケーションという分野だけで、大きな本(800ページ)が出版されるほど、アメリカではメジャーな専攻です(ちなみに博士課程の中間試験(落ちたら退学)では、この本の内容が全て試験範囲でした。ほぼ暗記しました(そして忘れました))

ちなみに、上記の本の内容はこのような一覧になっています:

目次

性格とコミュニケーション、言語と非言語、感情とコミュニケーション、説得、職場におけるコミュニケーション、恋人や家族など、様々な文脈における対人コミュニケーションをカバーしています。

コミュニケーション学の特徴として、様々な研究手法を認める包容力がある、ということがあります。ここからは少し専門的な話になってしまいますが、統計を使う量的手法、エスノグラフィーやナラティブなどを使う質的手法など、様々な研究手法があります。

例えば、恋人同士の自己開示(自分の内面を相手に話すこと)の研究をするとします。量的研究であれば、恋人両方にアンケートを行い、お互いにどのような自己開示を行っているかを聞く、という方法が考えられます。それを数値化して、他の要素(親密度や愛情など)との関連を統計的に観察することが可能です。私はこちらの手法を主に使います(論文例)。

しかし、他の手法も当然考えられます。例えば、恋人がいる被験者を集めてきて、一人につき1時間ほどインタビューを行います。15名ほどインタビューを行った後、そのインタビュー内容から浮かび上がってくるトピックを意味的に分析し、研究としてまとめ上げることも考えられるでしょう。

つまり、同じトピックでも色々な研究手法が考えられるよね。だから、それらを相互に排除せずに、相互補完的に学び合おう、という感じでしょうか(実際には、異なった手法同士で敵対視している人もいなくもありませんが)

私は前者の量的手法を学びました。またもや自慢ではないですが、修士課程・博士課程、共に研究手法や統計学の授業は、ほぼ全ての科目で一番良い成績を納めることができました(英語良く分からないのに)。アメリカ人に教えていた程です。

日本に帰ってきた驚いたのが、そういうった内容の半分くらいを、心理学部の学士課程(つまり大学院に入る前)でカバーしちゃってるんです。統計ソフトの使い方まで授業でやっていて、太刀打ちできません。

私が高校で私大文系を選んだゆえに、一切数学をやらなくなったことは一旦置いておいて、なぜこのようなことが起きたのか。アメリカの大学院は(日本もそうだったらすみません)、学士課程で学んだことと分野が違っていても、ウェルカムしてくれることが多いです。例えば、私みたいに英語教育を学んだ人でも、コミュニケーション学の専攻に受け入れてくれるし、というかそれまで何を学んでいてもあまり関係ありません。志望理由書の中で、これまで学んだことを活かして、大学院で何を学びたいか、が論理的に書かれていれば大丈夫です(入試とかは基本的にありません)。

つまり、逆に言えば、例えば対人コミュニケーション学の分野で言えば、アメリカの大学院で新たに量的研究手法を学ぶ場合も、「それまでその研究手法を学んだという前提」がない状態で新たに学び始めることができます。これは、私みたいな門外漢からすると大変ありがたいシステムですが、既に学んだ人からすると物足りないと言えるでしょう。もちろん、コミュニケーション学部以外の、例えば心理学部が提供する研究手法の授業も取りに行っていいので、自分で補うことは可能です。実際、私もそうして他学部の研究手法の授業を取りに行きました。ただ、研究手法や統計的な知識という意味では、日本で心理学のトレーニングを詰んできた先生方に比べ、実際はかなり未熟な状態で自分が卒業していたことが分かりました(ちなみに、私が出会った、アメリカの心理学の大学院生はキレッキレで、何言ってるかさっぱり分からないほど優秀でした。しかし、アメリカで心理学を専攻しているアカデミアの友達がいるのですが、死ぬほど大変みたいです。日本にいたら一瞬で教授になれる業績があっても、アメリカでは安定した仕事に就けない人もいっぱいいます)

では

量的手法を使う 対人コミュニケーション学

量的手法を使う 心理学

って何が違うのでしょうか

何が違うんでしょうか笑 誰か教えてください。実際、私の研究は、なぜかコミュニケーション学のジャーナルでは落ち続け、心理学のジャーナルでちょこちょこアクセプトされています。最近ではAIも発達し、英語ができることがアドバンテージではなくなってきました。日本でトレーニングを受けた心理学の研究者の方々が、海外のジャーナルに英語でバンバン出版しています(注:海外のジャーナルに英語で出版することが、それ以外の方法より優れている、と言いたい訳ではありません。はっきり言って、私は日本語での論文の書き方がさっぱり分からず、自分が勝負できるのは英語のジャーナルに出版することだと思っていました)。それも私が落ち続けるようなジャーナルに。

そういう現実を前に、私はここ十年以上、こう↓思って乗り切ってきました。

「べべっべべべべべ、べつに、俺がやってるのは、心理学じゃなくて、コミュニケーション学だし、、、」

しかし無駄な抵抗でした。自分が勝負しているジャーナルはどう考えても心理学だし、その領域で十分な結果を残せていない。それが現実です。

当然、アメリカの大学院に行って得たアドバンテージは大きいです。英語で授業ができる、という長所を買っていただき、今の大学の仕事に就くこともできています。アメリカでの経験が、外国の文化に関わる仕事や教育にも生きているのは確かです(海外留学(大学院)とアカデミアの仕事ゲットの関連は、他のnoteで書くかも知れません。はっきり言って大きなアドバンテージにはなります)。

ただ、ここがアカデミア(研究職)の好きなところなのですが、研究業績という点においては、そんなことは一切考慮されません。私がどんなに独特なキャリアを詰んでいようが、私がどんなにイケメンだろうが、そんなことはジャーナルの査読者には見えないし、関係ない。勝負するのは、論文の中身のみ。内容が悪ければ落ち、良ければ受かる。

最終的には、どの学問分野に自分のアイデンティティーを位置づけるか※、はどうでも良いと思うのですが、変に自分をあるグループに入れたり、外したりせず、近接領域の方々と切磋琢磨して、成長できたらと思います。

日本の心理学の研究者の方々と知り合う機会が全くなかった私ですが、SNSで知り合う先生方は大変サポーティブで、今では分野の垣根をあまり感じずに交流することができています。逆に言うと、同じコミュニケーション学というバックグラウンドを持っている先生方でも、分野が異なるとなかなか研究の内容において交流することは難しいです(人と人、という関係においては良好な関係が築けています)。

飲み会の誘いは9割9分、断ってしまうほど内に籠もるタイプのコミュニケーション研究者ですが、様々な領域の研究者の方々、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

自分を重要なグループに位置づけることで、自分の自尊心(Self-Esteem)を維持する機能があるようで、自分をどのグループに属させるか、は非常に面白い領域だと感じます。


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