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子どもの歯が抜けた。ただそれだけの筈だったのに・・・


娘の歯が抜けた。



長くグラグラして日々、不便そうだった。

毎日のように痛いとか血が出たとか
報告してくるから
早く抜けて楽になったらいいな。くらいに
ぼんやりと、思っていた。


だけど、いざ歯が抜けた時、
私は
胸がいっぱいになって泣いてしまった。

自然と『おめでとう』って言葉が
唇からこぼれ、
それから
娘の手に乗った小さな歯を見つめて
涙が流れた。

歯が抜ける過程と私の心


一ヶ月くらい前に
新しい歯が生えていることに気がつき
その時はまだ乳歯がグラグラしていなくて
大丈夫かな?と思った記憶がある。

私が子どもの頃は乳歯の下から
永久歯が押し出すように生えてきたのに
娘は歯の後ろから永久歯が生えてきた

今の子は顎が小さい子が多くて
よくあることらしい。
固いもの食べさせてるつもりだったけど
足りなかったのかなとか
親ってやっぱり新しいことには
ドキマギするんだな。


歯が抜けた時私が真っ先に感じたのが
『あぁ、また娘が遠くに行ってしまった』
そんな寂しさだった。
歯がグラグラしている時には
ぼんやりと
『早く抜けて楽になったらいいね』
くらいに思っていたつもりだから
いざ歯が抜けて自分が
寂しい。そんな感情になるなんて
予想していなかった。
私は自分で気がつかないうちに
また成長していく娘の姿を
心は寂しく思っていたのか?
キャッチできていなかったのかな?
わからないなぁ。



乳歯はいつできるのか。


私が知っていた乳歯の情報は以下である。


生まれた時から歯が生えていた子もいる
ということ。


また、乳歯というのは生まれたときは
基本的に生えていないが、
歯の元になるものは
赤ちゃんがお腹の中にいる時から作られている。
ということ。

それが生後半年くらいになると乳歯として
顔を出すということ。


娘の乳歯は、私のお腹の中で
作られたものなのだ。
私の一部でもあったものなのだ。

永久歯は娘が自分の体で作り出したもので
私の一部が作り出したものではないかな
そう思った。

人の成長は目に見えないものも多いから
自立していく過程を
形や言葉にするというのも
簡単なことじゃないなと日々感じている。

歯が抜けるという出来事は
目に見える形で
娘が大人になる姿を見れたのだなと思った。

グラグラと揺れる乳歯との生活は
血が出たりもするし、
痛みを伴うこともある。
子ども自身が
自分の体のなかで起こる
それを体験する現象は
通過儀礼のようにも思えていたなぁ。



歯が抜けたことで私が受け取ったメッセージ


私は家族や子どもを
自分のもののように感じてしまい
蔑ろにしてしまうことがあると
日々反省しているけど

今回の出来事は
私と娘が
一つだった、繋がっていた時のものが
抜け落ち
娘だけの体になっていく
私と娘の境界線がさらに
ハッキリした現象だなと思った。

今までの出来事が
走馬灯のように頭を駆け抜けた気がした。

私にとって娘とは
そういう存在なんだ。
いつまでも一緒にいたい。
なんでもわかってあげたい
守りたい。
そういう人なんだと再確認した

娘はどんどん成長する。
それは止められないし
成長は喜ばしいことだ。

歯が抜けたことは
目に見える成長だったけど
目に見えないことの方が
私たちの生活には多い。

やっぱり私にとっての
今の課題は
それを言葉にして交換すること

成長に
寂しさを感じるのであれば
目を見て話し
他のことから頭をはなし
今目の前にいる
彼女だけに集中する時間を
5分でも10分でも作ること。

写メを軽い気持ちで
記録のように撮っているけどね
カメラだと携帯より
心を込めてシャッターを切るのよね

今に集中するのに
カメラもとてもいいツール。

娘と二人だけで
お散歩とか行きたいな。

今日も大好きだよ
ありがとう


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