【母との記録】 認知症か、はたまたパラレルワールドなのか
私は中学生だった。
母の姉である伯母が脳梗塞で亡くなったあの日。
もう30年ほど昔のことである。(数字にするとビビる😅)
伯母の呼び名を仮にMとする。
2~3ヶ月前、母は電話口で私にこう言った。
『Mさぁ、去年亡くなったっきゃあ(訳:Mは去年なくなったでしょ)』
正式に「あれれ?おかしいかも。」と感じた日だった。
昭和22年生まれ。
ウソかほんとか、乳児の時に、畑仕事をする親のそばでかごに入れられていた母は、おしめを変えてもらえずに気持ち悪くていやだったという記憶を持つ。
寂しさや悲しさが、その感情を飛び越えて怒りになる母。
きっとその乳児の時も、構ってもらえず悲しかったはずなのに、その話を聞かされるときは決まって怒り口調で話すから厄介だった。
現代風に言えば、母は認知症の仲間入りをしたのだろう。
未来風に言えば、パラレルワールドに出入りしているのかもしれない。
そんな母と一緒に暮らす姉から、母が私の主人を忘れちゃったみたい、と聞いた。
電話するたび、会うたびに、手紙をもらうたびに「二人仲良くね」と必ずそう伝えてくる母が、だ。
きっと一時的なものだと、冗談半分に主人に伝えると、主人は私に「いまりちゃんも忘れられないようにもう少し電話かけてあげたら?」と……。
電話しても、話を聞いてくれる母ではなく、どちらかというと話を奪っていくタイプの人だから、母と話すのはそんなに楽しいものではなく、ずっとずっと苦手だったのだ。
年老いたこともあり、1か月に1度は気になって電話していたが、母からかかってくることの方が多かった電話は、いつの間にか私からかけるだけになりつつある。
それも、ある種の認知症の始まりだったのかもしれない。
主人の言葉から、昼休みを使って電話をかけてみると、電話口に出たのは姉だった。姉との情報共有ののち、ふらっとどこかに行っていたという母が戻ってきて電話を替わる。
無理に元気を装うことがなくなったな、と一言めで感じた。
そして、母が好きな自分の父親の、何度も教えてくれた逸話さえ忘れてしまったという。こうやってお母さんから聞いてたよ?と伝えると、そうだった、そうだった、と思い出し、そして「あんまり人と話してないからさ~なんでも色々忘れちゃうのよ~」とかわいらしく話してくれた。
「そしたら私が話を聞いてあげるよ~」
思わず出た言葉だった。
その言葉が自然に発せられたことに、私自身が嬉しくなり、すぐに忘れてしまうだろう母もまた、少しでも嬉しさを感じてくれたようでほっこりした。
そしてまた母が伝えてくれた。
「2人仲良くね。そばにいてくれる人がいるだけで、ありがたいんだからね。」
怒りが先に感情として出てしまう母が、何かの鎧をおろして、生きやすくなったのだと感じた。
それは姉も同じように感じていた。
母がちょっとだけ変わったことで、私たちもちょっと変わった。
認知症で生きやすくなってる??と疑問を感じるかもしれないが、母に関して言えばそうなのだ。
そして、母自身が忘れていくことに抗い、出来なくなることにいらいらするのではなく、忘れちゃうことも出来なくなることも認めて、生きやすくなった、そう感じているようだった。
認知症か。はたまたパラレルワールドの住人となったのか。
母との記録を残していきたい、そう思ってひと息に書いてしまった。
重陽の節句、実は今年初めて知ったのだが、長寿や無病息災を祝う日だという。
そんな日に、こうして母のことを想い、記せた。
どうか、幸せな日々を過ごしてほしいと願う。