それはどこの国の地面でもないのかもしれない、果たして太陽などあるのだろうか。ひとつの芽が土のかたまりを押しのけて、空に向かおうとしている。あらゆる瞼は閉じられ、すべての睫毛は伏せられている。そこにこめられた願いなど無いのかもしれない。命が、芽吹こうとしている。

Rさん、高校の卒業式の日に母親
が自殺した。結婚して五年目の
秋、そのことを夫に打ち明けた。
晩ご飯はハンバーグ、ケチャップ
の赤をみつめながら、彼女はお
母さんになりたいと言った。寒く
なってきたね。寒くなってきた
ね。今夜のハンバーグ、いちば
んおいしかったよ、ありがとう。

芽は双葉になる。懐かしい記憶など無く、求めるすべなどもたない。誰かが笛を鳴らしたような音(ね)、いずれにしろ何もかもが足りない。すべての腕はふりおろされ、それに繋がるすべての肩は無数の地平線となる。悲しいというのだろうか、雨雲が立ち込めてきた。きのう、という言葉などまだ知らない空に。

H君、新卒で入った会社を半年
で辞めて三年、一歩も家の外に
出なかった。犬が死んでも泣か
なかった。父が倒れても見舞わ
なかった。けれど奥歯が痛くて
歯医者に行った。両親にいちご
大福を買ってかえるとふたり
は泣いていた。これでよかっ
たのかもしれない。もうがんば
らないよ、ありがとう。

芽は伸びつづける。茎は太く葉は青く、なにかに耐えつづけたかのように成長をとめない。降りしきる雨のなか、すべての指はさす方角を持たぬまま、あらゆるこぶしとなってかたく握られる。問いを投げかければ片端から礫になるような力強さ、時は伸び縮みを繰り返しながらしだいに意味を失っていく。

Sちゃん、四歳を過ぎてもこと
ばをしゃべらず、水の音がきこ
えるとなりふりかまわず泣きじゃ
くった。こわいものとゆるせな
いものしかない世界で、どれ
だけふりほどいても抱きしめて
くるひとがいた。ある日ふいに
つぶやいてみる。ママ。そう、
ママよ、ママはここよ。もうど
こにもいかない、ありがとう。

✴︎

明日は
叶わぬことに満ちている
未来は
どんなひどいことだって起こりうる
生きていくことはなぜ
こんなにも果てがないのだろう
わたしたちのありがとうすら
またかき消されてしまう
かすかな風さえ吹けば
なにごともなかったかのように

花はいつか必ず咲く。どこかでだれかがありがとうとつぶやけば、つぼみはまたひとつ色づくだろう。そのことを誰も知らないのに、想いだけがしずかに降り積もる。きぼう、という言葉など知る由もない空から。


見守る者など
いるはずもないのに
どこかでまた
笛の音がした

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