見出し画像

言葉とどう向き合えばいいのでしょうか?→高次元からの返答

アシュタールさん、ご質問を頂きました。

アシュタールさんに質問させてください。

アシュタールさんは、頭での判断からハートで判断するようにと言われるように、頭で考える非効率さを教えてくれてます。
頭で考える、すなわち言葉で考えてます。
そもそも人間だけが言葉を使い、動物や植物やましてや高次元の方はみんなテレパシーを使ってます。つまり人間だけが異質です。
「思う」だけで、思ってることを言語化し頭が活性化します。「ハートで判断する」と言葉にして脳が機能してしまいます。

実生活の交流以外でも言葉だらけです。
瞑想で、雑念もイメージのままでもいいのに言語化してます。
夢の中でも、セリフやナレーションのような言葉が飛び交います。
言葉が生まれた時から、人間が思うと言葉が支配して頭で考えてしまいます。
聖書の最初に「はじめに言葉ありき」とあります。聖書の成立からすると、人間を言葉で囲い込む罠だったとも考えられます。

質問です。言葉は不要なのでしょうか?。そうならば、どう「思う」ことが出来るのでしょうか?
閃きや湧きあがる感情も、そのままでいられず一旦言語化して理解でき役立つけど、頭が活性化してしまってます。
私たちの進化には言葉は足かせなのかとも感じますし、左脳(言語化)と右脳(感覚)の融合して言葉を超えた何かがあるのかとも感じます。
言葉とどう向き合うべきか、教えてください。

アシュタールさんの話もさやかさんが言語化してくれるから私たちが理解しているわけです。
アシュタールさんのジョークも言葉で聞いています。
言葉にまつわる答えを言葉で聞く矛盾を感じますが、よろしくお願いします。
毎度、ややこしくてすみません。

「はい、こんにちは。
本来なら言葉は不要です。言葉に置き換えることで正確さが少しずつ削りとられていきます。
 
 しかし、今の皆さん(人類)は言外の気持ちを感じ取る能力が退化してしまっています。そのような場合には言葉も便利なものだと思います。

美しい言葉を使ってください。愛の言葉、喜びの言葉、優しさの言葉、これらはとても美しいものです。

 ただ言葉を信頼するあまりに、言葉を鵜呑みにするのはおすすめではありません。
 ’’京都のぶぶ漬け’’のお話をご存じですか?言葉そのものを受け止めるのではなく、言外のメッセージを感じ取るようにしてください。
 言葉と本心に誤差があるのではないか、(人によっては誤差どころか、本当の気持ちと発する言葉が真逆な人もいます。)気にしてください。
 それは波動を感じ取るレッスンです。」

人の言葉を疑ってかかるっていうのは、悲しいものではないのですか?

「そうかもしれません。で、あるなら、あなた方は常に本当の気持ちを、できるだけ正確に言語に置き換えるようにしてください。率直すぎるくらいでちょうどいいのです。あなた方の言語は歪められてしまっていますから。

 歪められているのは文化です。自分を守るために、本心とは違うことを言語化したりします。
 まぎらわしい’’ぶぶ漬け問題’’は、あなた方の世界のあちらこちらにはびこっています。
帰って欲しい時にはかえって欲しいと言いましょう。

 そして察する能力を身につけましょう。言葉がなんといおうと、その人の本音はあふれ出ています。行動に、瞳の輝きに、声のトーンに。なにより波動に。」

言葉は不要なのでしょうか?。そうならば、どう「思う」ことが出来るのでしょうか? 

どう思うことが出来るのでしょうか?という点はいかがですか?

「思うというのは、言葉にするということとはまた別のことです。心地よい感覚、その感覚を味わうだけで充分です。
 
 あなた方が本来の感覚を取り戻していれば、隣の人が心地良い感覚を味わっている、あるいは心地悪い感覚を味わっている、そのことが伝わるはずです。

 何もかも言語化しようとすることで、時に隣人の想いをくみ取る能力を退化させてしまいます。あなた方は充分退化させてしまっています。
 でも、言葉に頼らない、他の感覚も使うことを意識していくことで、退化させた能力は取り戻せます。」

ええっと、私たちは言葉とどう向き合えば良いのでしょうか?

「あなた方が言語を使う時には、正確な言葉を使ってください。そのままの言葉です。

 そして他の人の言葉を聞いた時には、言葉だけに頼ろうとしないで言外のメッセージにも気を配ってください。

 そしてこれが一番重要なことなのですが…私のジョークには笑ってください。冗談です。」

らしいです。
追加のご質問があれば、コメント欄へどうぞー

追記:

アシュタールさん、コメント頂きました。追加でご質問をお願いします。

アシュタールさん、さやかさん、ありがとうございます。

私が上手く説明出来てない、上手く言語化してませんでした。
対人のコミュニケーションとしての「言葉」は、アシュタールさんのお答え、ものすごくよくわかります。全面的に合点です。
私が聞きたかったのは、対自分といいますか、
自分が分かるとか理解するとかは、自分の頭の中で言語化せざるを得ないということです。
yesかnoとか、やるべきかやらずべきかshould or shouldn'tとかは、ハートの感情でいい気分か悪い感じかとかで判断出来ます。
しかし、「こうなってこうなるからこうになる」とか構造理解などwhatやhowの理解は言葉を頭を使わないと自分に落とし込めません。

さやかさんと話されてた、非物質体との交流関係での自己選択の可能性などは、確かに頭で理解できないけど、ハート判断では見当もつかず、心地良いか悪いかとかどっちの方向かはハート判断出来ても、howを頭で考えないとなると、もっと掴みどころなくなってしまいます。

うーん、上手く言語化出来ません。
感覚で分かるのは手応えが弱く、頭で言葉で分かるのが手応え強いのは、私の未熟ゆえの気がします。

一つだけ質問させてください。
頭の理解より感覚の理解が強くなるには何が必要でしょうか?

さやかさん、アシュタールさん、二度手間すみません。
いつでもいいです。

「あなたがとても熱心にこのテーマに取り組んでいらっしゃることが素晴らしいと思います。追加でのご質問をありがとうございます。
 一つだけなどといわず、3万回でも5万回でもご質問ください。

’’感覚で分かるのは手応えが弱く、頭で言葉で分かるのが手応え強いのは、私の未熟ゆえの気がします’’
このフレーズは素晴らしいと思います。しかし、もっと正確に私が表現しましょう。未熟だということではなく、ただ不慣れなだけです。
 あなたが今まで理解するパターンが、言語化し、そして脳で理解することだったんです。それに慣れているのです。

 しかしそれは悪いことばかりではありません。あなた方、仲間の人間にあなたの成長のプロセスを伝える時、その手法はとても役に立つと思います。あなた方の仲間の人間はその方法をとっている方々がとても多いですからね。

’’頭の理解より感覚の理解が強くなるには何が必要でしょうか?’’
目を閉じることです。目を閉じて呼吸をすること。
 それはあなた方の世界では’’瞑想’’だと言われることが多いかもしれません。

 硬く考える必要はありませんし、誰かからやり方を習う必要はありません。とても簡単です。’’目を閉じて呼吸をする’’。シンプルです。

 あるいは恋をするのもいいかもしれません。この人は学歴が高いから、この人は収入がいいから、この人は長寿の家系だから良い遺伝子を持っている…この人は安産体型だからたくさん子どもを産んでくれそうだ、これが頭で考えることです。結婚相手を選ぶときには(頭で考える人たちも多いでしょう)。

 恋はハートです。ただ感覚で相手を選びます。あなたは恋をしたことがありますか?恋は感覚と脳での判断などということを理解するのにとても良いと思いますよ。だからあなた方は恋をします。」

えええ!
いや、その本能的に種の保存のために恋に落ちるのかと思ってました。

「生殖年齢が終わっても恋をするでしょう?同性相手にも恋をするでしょう?」

ああ、そうか…

「恋をするのでも良いですし、しかしまぁ、恋はしようと思ってするものでもないですからね、恋に落ちることが不可能であれば、目を閉じて呼吸をする方法が、感覚を取り戻すためには有効な手段となると思います。」

らしいです。
追加のご質問などあれば、コメント欄へどうぞー。



直接通話でアシュタールさんとお話してみたい方がいたら通訳いたします。電話番号と希望の日時をいくつか(第三希望くらいまで)書いて4980円/30分のサポートしてください。折り返し返信後ご希望の日時に教えていただいたお電話番号にお電話させていただきます。悩み事相談から雑談まで。