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『そうしないことはありえたか?: 自由論入門』高崎将平

総評

分析哲学の手法を用いた自由論について門外漢にもわかりやすくまとめてある。自由と責任の関連についてが本書の9割、第8章で多少それ以外のことが触れられるくらい。論理学の知識を必要とする章があるがある程度は仕方ない。その章以外の部分は論理学の知識が無くても理解することができる。個人的に自由と責任がそれほど堅固な結びつきかと首を傾げたくなる部分はある。このあたりは西洋との感性の違いか?あと現代哲学は物理学(物理法則)にそこまで気を使わないといけないのかという疑問はある

はじめに

私は哲学を専攻していたわけでもなくあくまでただの読書好きです
普通の人よりは思想系の本を読んでいる自認はありますが系統立った勉強をしているわけではありません
大学一回生が一般教養で哲学の授業を受けてこの本を読んだ、程度の感想しか出てきませんのでそれでも良ければお読みください

一読しての感想

「自由と責任にそこまで堅固な繋がりがあるのか?」というのが読んでいてずっと感じていた疑問
たとえば「長男だから親の面倒を見る責任がある」というのは自然な文だがここに自由の介在する余地はない(ように見える)
西洋人の感覚として個の自由、および責任というのは受け入れやすい概念なのかもしれない
日本人の責任というのは自由とはあまり結びつきは強くないのではないだろうか?少なくとも自明ではなさそうだ
誰の本だったか記憶があやふやだが(半藤一利だったか?)BC級戦犯の裁判で個人の責任についての認識のすれ違いが取り上げられていた
ある軍人が倫理にもとる命令を受けて「一個人としては良くないと思ったが軍人としてはやる以外の選択肢はなかった」といった弁明をしていた
これが西洋人の弁護士には理解不能だったようだ
日本人は無意識的に組織人としての個、私人としての個といった風にフェーズごとに個を使い分けている
西洋人の源泉である「神のもとに平等な一人の個」という強固な概念は無く「自然の中に生かされているone of them」といったように集団に強く帰属するのが日本人の特徴だ
そんな日本人に責任を軸に語る自由論はなじまない気がする
日本人は日本人独自の自由論が作れるのではないか?作ってほしいなぁというのが最後まで抱いた感想でした

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