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俳句で、2020年の晩春を刻む

昨日(4月29日)、バタバタと第1回 俳句ワークショップを開催しました。開催を急いだ一つの理由は、「もうすぐ夏になってしまう」から。俳句の世界では、立夏(5月5日頃)を過ぎれば、文字通り夏。コロナでがらりと物事が一変した「春」を刻まないといけない、というちょっとした焦りがありました。

5人それぞれの「今」

参加者は5名。俳句の基本や作り方のポイントを簡単に伝えたあと、それぞれの「今」をテーマに一つずつ作っていただきました。そして一緒に推敲を重ねてできた作品がこちら。

緑さす窓辺に立つは会えぬ人  暁子
母の日や小さき画面の笑い皺  友佳
三日ぶり子を連れ出せば春の空  千華
三線を見上げ泣く子や若葉光  正樹
春の風羽ばたきながら家にゐる  英樹

外出自粛で会えない人を想ったり、空がいつもより広く感じたり、子供の成長の早さに驚かされたり、家にいて心は羽ばたく自分を感じていたり。ここに、それぞれのかけがえのない「今」が刻まれました。俳句の読み方は自由。ここから、どんな「今」を受け取るでしょうか?

自分の「今」

今回のワークショップの例として出した句。

春夕焼人と人とをつなぐもの  

外出ができなくなって、人との関わり方が変わらざるを得なくなった。すべてのコミュニケーションはオンライン化し、そこでの会話は以前より格段に増えてもいる。日中、ラインを切り替えながら、いろいろな人と画面越しに会い、楽しかったり、嬉しかったりすることもあれば、居心地が悪かったり、気が散ったりすることもある。そして、それがひと段落した夕焼けの時刻、人とのつながりって何だろうな、と考えさせられる。

これは、その後に恩師から「特選」に選んでもらい、こんなコメントをいただきました。

春夕焼の持つ人恋しい雰囲気が上手く表現できている。

人恋しいさ。。俳句は、17文字をはるかに超える大きな世界を、時には自分が意識していなかったものまで相手に伝わることがある(ただし、読み手にも力がいる)。そして、読み手の鑑賞によって、俳句はさらに豊かになる。それが俳句のすごいところでもあると感じます。

ついでに、もう一つ。先生のコメントとともに。

ありふれし日々ありがたし春祭  

これも新型コロナウィルスを考えたとき実感が強く感じられる。しかし、他の年でも成り立ち得る句だ。

のちのちになっても、ここに刻まれたそれぞれの2020年晩春は、いつでも鮮やかに蘇ってくると思う。


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