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自己中心的に生きる方法を本気で考えてみた話。

私はそもそも、超絶自己中人間だと自認していた。

高校生の時は合唱部だったのだけど、卒業してから部活の仲間たちの連絡先をすべて消し、「大学デビュー!」とか言って髪を紫に染め、わけわからんパンクロッカーみたいな恰好をし始めた。あんなにも切磋琢磨した部活の仲間たちは『芋』だと思っていた。大学デビューは大成功し、見事に同期の子たちに「怖い人」という第一印象を与えることとなったのだが、ふと、「あ、合唱部の子たちとカラオケ行きたい」と思い立って、必死でmixiを探し、いきなり連絡をした。もう連絡を絶って3年が経っていたが、「久しぶり!カラオケ行こ!」というメッセージを送り、仲間内では失踪していたimaがわけわからんこと言ってる!と大事件になったとか。

で、大学生活も、怖い人と思われながらもそれなりに楽しくやっていたのだけど、その頃の友達とも卒業してから一切連絡を取らなくなった。音楽系の学科だったので、多分急に「セッションしたい!」とか思えば、血眼になってFacebookでも漁るのだろう。Facebookやってないけど。

あと、社会人になってからボイトレに通っているのだけど、同じ先生に付いていた生徒さんの中に、ネットで活動していてそれなりに人気のあるいわゆる『歌い手』さんがいた。それを知った私はとっても浮かれてTwitterで「私、○○さんと同じ先生に習ってるんだよーーーー」と自慢したら、エゴサしたらしい○○さんにバレた。Twitterでは自分とわからないハンドルネームを使っていたのだけど、どうやら(なぜか知らんが)私にしか正体を話していなかったらしく、速攻で私だとバレた。で、やめてほしいと言われたんだけど、私はとっさに「え、そんなこと書いてませんけど?」ってしれっと嘘をついて、その日のレッスンの帰り道にTwitterのアカウントごと消した。それから○○さんはそこの教室をやめてしまったけど、私は平気な顔して今も続けている。

自己中エピソードを並べたつもりだが、そもそも自己中とは何なのか。

じこちゅう【自己中】
[名・形動]「自己中心的」の略。何事も自分を中心に考え、他人については考えが及ばないさまをいう。自分勝手。利己的。
(出典:デジタル大辞泉)

他人について考えが及んでないから、やっぱり自己中だと思う。ほら見ろ、やっぱり自己中だ。なのになんで自己中に生きることを考えたかというと、昨日も書いたこの記事。

最上もがさんが言っていた「自分のために生きる」ということを考えたくなったからだ。

辞書にある『何事も自分を中心に考え』の部分。そこが出来ているのかは、甚だ謎なのだ。

私は健康のためにヨガをしている。
ヨガでよく言われるのが『自分の呼吸に耳を傾けて……』。
私はそれが苦手だ。自己中だけど、自分の呼吸のことだけを考えるなんてことはできない。
体が硬いのでポーズもつらいのだけど、何よりも自分の呼吸に耳を傾けることが一番の苦痛だ。で、なんでヨガなんかやってるのかという思考に至り、『自分の健康のため』ではなく『健康で仕事をするため』とか『接客業に耐えうる見た目になるため』とか、自分の外の部分に目を向けたくなってしまう。

最初に恥ずかしげもなく書き連ねた自己中エピソードは、自己中に見えて、自分の周りにいてくれる人をないがしろにして、自分を苦しめているだけなのではないか。

……というと、今まで迷惑をかけた人に申し訳ないね。本当にその節はすみませんでした。

自分のために生きられない私は、多少自己中になる方がいいのではないかなんて考える。
でも、考えても考えても自分以外のものが邪魔をする。

答えは出ません。出ないので、結局私の最低最悪迷惑エピソードを披露するだけの記事になってしまいました。残念。

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