合理的配慮…

見え方に関して合理的配慮が必要な息子
受験で合理的配慮してもらえるよう
診断書もあるが…

本人が拒否る!?

想像される理由は↓

皆と平等にやりたい
配慮=障害と認めることへの抵抗
配慮=ルール破りの自己中という認識
自分の能力を親は低く見積もっている
俺はできるという証明

なぜ固執するかといえば
まずは「自覚がない」
生まれた時からの見え方で
多少見にくい時があったにせよ
これでやってきたんだ!という自負

見え方から
細かい部分を見落とすことは
検査の数値にもでているが…
本人の自覚は読むことへの疲れと
アルファベットの読み間違えくらい
実際は
読むことに労力がいり
集中が続かない…
光の加減によって
見えにくく諦めることもあり
テストの間違いの多くは
ケアレスミス

このような中で
実力を発揮することは
なかなか難しい

受験の配慮はともかく…
志望校には特性伝える必要があり
学校に呼ばれ何度か面談をする

面談は現状を伝えるためと
開示して行っているにも関わらず
本人には母親の息子可愛さから
モンスターペアレントのように
学校に掛け合っていると
映ったらしい…

感情的にならず
話をしようと
自分に言い聞かせてきたが
本人の気持ちも理解できるものの
周囲の配慮に対する息子の態度に
さすがにキレかかり限界

何度も助けを求めているのに
口を出さないスタンスの夫にも
再度助けを求める


あれから一日考えた…


子供を信じるってなんだろう?


それすら分からなくなり

当たり前のことを検索してみて
ある一文をみつけた

子どもを信じるということは、
失敗するかもしれないけれども、
失敗してもまた立ち上がる、
その強さを持っていると信じること



信じきれてなかったかな…


失敗する可能性あっても
挑戦させることが
信じるということかな
子供の強さを信じないのは
失礼なことだな…と
失礼だ!と怒っていたんだな

モンスターペアレント扱いされたのは
心外だし
そもそも合理的配慮とは
本人の意思を尊重とはいえ
特性を本人が理解しない場合
本人の要望だけで
判断することにも問題はないのか?
とか

モヤモヤする問題はたくさんある

…けれど
子供を信じきれていなかったことは
やはり素直に反省するべきなのかな
…とか

モヤモヤは尽きないけど
たくさんの失敗をするだろうが
強さを信じてみようか…
という結論


子育ては自分を試されていることだらけ
子供の強さを信じる
それは
自分の強さを信じる

とも同じ意味なのかもしれない✨✨

子育ては自分を成長させるために
神様がよこしてくれたもの
と誰かがいっていた…

未熟な自分が
大事なことを気づくために
神様が与えてくれた
出来事のひとつかもしれない✨✨





























その根性は感心するが…

平等とはなんなんだろうか…

同じスタートラインで
同じトラックでスタートすれば
ヨーイどん!のかけっこも平等?

果たして同じスタートラインいるのか?
もしくは同じトラックなのか?とか
見えにくいということが判明しているのなら
でこぼこトラックをつまづきながら走ってはいないのか?

…とか??

疑問はふくらんでいくけど

ここからは生き方か!?

という自分もいる…

全く無理だとす

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