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勉強は受験のためのものじゃない

人はみんな違うのに、世界はこんなに広いのに、学びはこんなに多様なのに、何で受験なんてものがあるんだろう?
常々そう思っている。

色んな子供たちの個性を、点数や偏差値という物差しで測ることには、色とりどりのキラキラしたもののほとんどを取りこぼして、カスだけすくい上げているような、そんな虚しさを覚える。

10代後半の、人生においてかけがえない数年間を、問題集を何回も解いたり、志望校判定に一喜一憂したり、無味乾燥とした知識の切れ端を暗記したりすることに費やすのは、無駄という以上に弊害が大きいと思う。
(あくまで私の感覚です。)

思えば私は、高校生のときから受験に否定的だった。
高校は、何を間違えたか進学校に進学してしまった。
高校入学前の春休みの段階から、宿題がたくさん出たのを覚えている。

1年生の頃はまだ良かったけど、高校2年生になると、学年全体がいきなり受験モードに変わった。
先生は受験対策の授業をするようになり、私以外の同級生はみんな、それを当たり前のように受け入れて着々と受験勉強を始めた。
まだ進路の決まっていなかった子でさえ、「とりあえず。」と言って勉強し始めた。

私はと言えば、そんな状況についていけなかった。
なぜなら、それまでの私は、ただただ勉強が面白くてしていただけだったから。

中学の時に高校受験もしたし塾にも行っていたけど、中学校の先生は受験用の授業なんてしなかったし、塾ものどかな雰囲気で楽しかった。

勉強は楽しいからするものであって、受験のための手段ではない。
そういう考えが、当たり前のように私の中にはあった。
だから「受験のために」勉強することは違和感でしかなかった。

なんで受験勉強するの?
私の人生にとって受験勉強はどんな影響があるの?
本当に受験することは良いことなの?
なりたい夢も、行きたい大学も決まってないのに、目的もなく受験勉強するなんておかしくない?

色んな疑問が頭の中をぐるぐるしていた。
なりたい職業がなくても、行きたい大学が決まってなくても、みんながとりあえず受験勉強をし始めたことが、不思議で仕方なかった。

逆に、みんなが当たり前のようにしていることを、私はなんでできないんだろう?
親から「反抗的」「あまのじゃく」と言われることが辛かった。
それまで成績はトップクラスだったのに、どんどん落ちていった。

それでもなんとか、熱心な担任の先生に説得されて受験をし、結局現役で大学に進学した。
その頃の私はまだ、周りの人たちに自分の考えをガンガン主張して我が道を進めるほど強くはなかった。
違和感を感じながらも、そこから外れる勇気も覚悟もなかった。

でもあの時の違和感はずっと消えていないし、今でも残っている。

幸い今は、堀江貴文さんのゼロ高校とか、受験に捉われない色んな面白い取り組みをする高校が増えてきている。
点数や偏差値などとは一線を画す教育を行う学校も増えている。
すごく良い時代だなと思う。

私の頃にもこんな学校がたくさんあれば、私はそっちに行ったかもしれない。

人生の価値は、点数や偏差値なんかじゃ測れない。
自分の子供にも、伝えていきたい。

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