映画ファイトクラブから学ぶ、究極の「どうでもいい」精神
先日、アマプラでファイトクラブを初めて鑑賞した。
「ブラッド・ピット×デイビッド・フィンチャー監督が放つ、常識を、価値観を破壊するエンターテイメントの傑作!」
アマプラの説明文にはこう記されているが、
その言葉通りの衝撃的な精神論をぶつけられた気分だった。
私はこの春パニック発作を引き起こしてから、自律神経を絶賛整え中である。そんな私がひょんなことから観た映画「ファイトクラブ」に衝撃を受け、タガが外れた思考術にうっかり元気をもらっちゃった経験を、映画の感想を交えつつ記すことにした。
⚠︎これ以降の内容は映画のネタバレを含んでいます!ご注意ください。
【あらすじ】
自動車会社でリコール調査に従事する会社員の主人公「僕」(エドワード・ノートン)。
一流の家具を取り揃えた部屋に住み、ある程度裕福な暮らしを送っていたが、変わり映えのしない日々に精神が満たされることはなく、不眠症に陥っていた。
そんな主人公は、ある日飛行機で隣の席に座った男タイラー・ダーデン(ブラッド・ピット)と出会ったことをきっかけに、生き方を大きく変えていくこととなる。
あらすじはこんな感じだ。
ブラッド・ピット演じるタイラー・ダーデンはとにかく自由奔放。自信たっぷりの言動で、しかもマッチョ。顔もブラッド・ピットだからもちろんめちゃくちゃかっこいい。
自信もなく、自分自身の人生の幸せすら分からなくなっている主人公とは正反対の人間だ。
この後主人公のマンションの部屋が爆発し、帰る家すら失くす事件が発生するのだが「もうソファの悩みは一生解決されたと思ったんだ」とオシャレな北欧ソファを失ってしまったことを嘆く主人公に対し、タイラーは「お前は物質に支配されている」と一蹴。
消費におぼれる物質主義・資本主義の主人公および世の中を痛烈に批判した。
タイラー・ダーデン的にいえば北欧ソファやガーデニングのような、私達の生活を豊かにしてくれる物質はすべて世の中の残酷さや苦しみから目を逸らさせるための「まやかし」に過ぎないのだ。
それに心をとらわれてる現代人をばかにしている。劇中、終始一貫してその姿勢!
「痛みを感じろ。苦しみと犠牲が尊いんだ。痛みから逃げるな。人生最高の瞬間を味わえ」
「“いつか死ぬ”ってことを恐れず心にたたき込め」
「職業がなんだ、財産が何の評価に?車も関係ない、人は財布の中身でもファッションでもない、お前らはこの世のクズだ。」
殴り合い、痛みを感じることで生きていることを実感する、生きていることを喜ぶタイラー。犯罪行為を繰り返し、危険を犯すことで飼い慣らされた人間の価値観を脱ぎ捨てる。
やってることはめちゃくちゃ!笑
でも、そこにはタイラーなりの筋が通った理論がある。
危機からなるべく遠ざかり、常に心地よい状態を維持しようとする現代人のもろさを炙り出すような物語。
辛かったり悲しい出来事があれば、すかさず他の楽しい出来事(趣味など)で上書きし、現実の痛みと向き合うのを避けてきた自分に突き刺さった。
もちろん楽しい出来事でリフレッシュするのはめちゃくちゃ大事だ。多趣味な私としてはそれが無いと死ぬんだが?って感じだが、悲しい出来事から逃げるように快適を追い求めたところで、結局はパンクしてしまうのだ。
私の場合はそれがパニック発作として現れた。快適なものにだけ囲まれ、ネガティブを遠ざける不健全さ。
タイラーは何も持たず、何も期待していない。人生の不公平さや残酷さを真っ向から受け入れ、理解している。だからあらゆる出来事に恐れない。ある意味タイラーは健全だった。
私はこの野生的なまでのタイラーの価値観にとてつもなく元気をもらった。究極の「どうでもいい」精神(と呼んでいる)。現在の私の繊細な価値観をハンマーでぶち壊され、なんだか笑えてきた。
鑑賞後、言いようのない充実感。この映画の暴力性と爽快感がクセになって、ここ最近毎日のように観ている。
正直この映画で心のケアをする人間はごく少数だと思う。荒療治どころか、なんなら傷を抉りそうだ。
それでも、今の私の鬱屈とした気分を晴らすような、新たな価値観を植え付けてくれた映画だと思う。
ファイトクラブが公開された当初、各地でファイトクラブが続出したらしいが納得しかない。現代人は皆タイラーのような強い精神に強烈に憧れるのだ。
私も人生のファイターになりてえ!
これだからバイオレンスな映画はやめられない。
ストレスが溜まった方にはぜひともオススメしたい傑作だった。
「思うに“完璧”なんか良くない。“完璧”を目指すのはよせ。
それよりも進化しよう。どんな結果になろうとも」
大事なのは人生を恐れないことだ。
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