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何故ビンテージシンセサウンドに魅かれるのか?

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令和の時代になっても昭和レトロなビンテージシンセサイザーのサウンドに魅かれるのか?その自分のルーツを辿りたいと思います。
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何故ビンテージシンセサウンドに魅かれるのか?(その1)

電子楽器の発展途上と共にナウイ音楽が登場私が小学4~5年ごろに「ザ・ベストテン」が放送開始され、様々なジャンルの音楽を聴くきっかけとなり、ちょうど歌謡曲に電子楽器を盛んに取り入れた頃でシンセサウンドはよく耳にしていました。中学になる頃には「洋楽」に目覚め「ニューウェーブ」が登場した時代。そんなある日、友達家へ遊びに行った時、その友達の兄貴から聴かされた「YMO BEHIND THE MASK」に衝撃を受けました。しかしシンセサイザーの存在は知っていたもののエレクトーンとの違い

何故ビンテージシンセサウンドに魅かれるのか?(その2)

最初に手にしたシンセは「Roland SH-1000」憧れのキーター(ショルダーキーボード)は当時は「Moog Liberation」しかなくその価格はな、、なんとっ45万円!!中学生には到底買えない値段なので、キーターは諦めて中古で4~5万円であった「Roland SH-1000」を手に入れました!ローランドシンセサイザーの記念すべき1号機でありますが、プリセット機能があり初心者にも操作が簡単でありましたがもちろん「単音」しかし、演奏経験が学校の音楽授業でのピアニカレベルな

何故ビンテージシンセサウンドに魅かれるのか?(その3)

待望の国産キーター「YAMAHA CS01」私が中3になると待望の国産キーター(ショルダーキーボード)「YAMAHA CS01」が登場しました!しかも3万円程度とお手頃で、うろ覚えですが「Roland SH-1000」を下取りし手に入れました!シンセらしい変なサウンドは出せないものの普通の演奏するには十分で、スピーカーを内蔵し電池駆動でき、小型で持ち運びも便利!ストラップを買うのをケチって荷造り用のヒモを使ってましたwブレスコントローラーは使ってませんでしたが吹く強さで音色表

何故ビンテージシンセサウンドに魅かれるのか?(その4)

様々なジャンルが乱立で方向性を見失っていた80年代はじめは「ニューロマンティック」などの「ニューウェーヴ」から派生したものや「AOR」国内は「フュージョン」「シティポップ」など音楽ジャンルが乱立の状況で、同じ中学の寄せ集めバンドメンバーの音楽性がバラバラだったのは今思うとうなづけます。中3の文化祭のステージは結局、リーダーとサブリーダーがそれぞれ好きな曲を選出する事になり何でもありのチンドン屋で終わりましたが、そのせいか?私が本当にやりたいジャンルが何であるかだんだんわからな

何故ビンテージシンセサウンドに魅かれるのか?(その5)

演奏しがいがあり認知度高い「商業ロック」高校に入学し「シンセ自動演奏」に憧れるもののまだまだ高額で夢のまた夢。そこで私が行った事はメンバー寄せ集めでなく当時流行っていたいわゆる「商業ロック」のカバーで募りましたら比較的早く集まりました。しかし!洋楽(英語)を歌いこなすボーカルがライブ当日までみつからなかったので、しかたなく私がキーボード兼任で臨時で対応しました。英語は空耳で行い、キーが原曲と同じで声が出るはずもなく「ウィーン少年合唱団」ばりの裏声で私の「黒歴」の1ページとなり

何故ビンテージシンセサウンドに魅かれるのか?(その6)

夢の自動演奏システム「AMDEK CMU-800」念願のポリシンセ「KORG PolySix」を手に入れバンド活動に励むもののローランドのデモで目のあたりにした「自動演奏」の憧れは募るばかりでした。程なくして画期的な商品が登場しました!「AMDEK(Roland DG) CMU-800」これはパソコンに取り付けるドラムを含めた音源とシーケンスソフトのパッケージで、MIDI以前の規格「CV/GATE」方式のモノシンセも制御できる夢の装置が、パソコンあわせ総額20万円以内で発売さ

何故ビンテージシンセサウンドに魅かれるのか?(その7)

他の人と同じではダメ!何か新しい事を打ち込みを断念し他校の上級生とロックバンドのキーボードを勤めてましたが、キーボードは脇役で刺激がなく少々飽きてました。そんな中、知り合いのお兄さんのバンドをみる機会があり度肝抜きました。ブラス隊も含めた大所帯で、ロックやジャズなどあらゆるジャンルが融合したクロスオーバーで正に「玄人」サウンド。社会人・大学生ともありプロ級の演奏で自分の小ささを思い知り、やはり「他の人と同じではダメ」「何か新しい事」をしなければとおもった瞬間でありました。

何故ビンテージシンセサウンドに魅かれるのか?(その8)

“シンセサイザーの貴公子”ハワード・ジョーンズ1983年頃から「エレポップ(現シンセポップ)」のヒット曲が続々と誕生し、シンセやドラムマシンサウンドを耳にしない事がないぐらいの状況の中「ハワード・ジョーンズ」の登場は私にとって目指す大きな存在となりました。というのも彼のステージは複数のシンセを四方に鎮座させ、ドラムマシンと簡易シーケンサー、アルぺジエーターを駆使し、彼一人だけ(邪魔なパントマイマーがいましたが)で弾き語りをしてたのです。なるほど!バンドが無理ならこのスタイルが

何故ビンテージシンセサウンドに魅かれるのか?(その9)

「一人バンド」で念願の大きなステージに立てた当時は「ポプコン」や「LMC」等の音楽コンテストが盛んで、地元の1,000人収容クラスのホールで地区・店舗大会が開催され、予選を勝ち抜いた先輩バンドの演奏する姿をみて憧れたものです。しかしそれらのコンテストは「弾き語り」や「バンド演奏形態」が主流で、多重録音は場違い感があり「一人バンド」での応募は二の足を踏んでましたが、福岡の大学へ進学し近所の楽器店でダメもとで応募しましたら店舗大会に出場できました!念願の大きなステージで演奏できた

何故ビンテージシンセサウンドに魅かれるのか?(その10)

某シンセメーカーに面接に行くも崖の底に打ち込みや多重録音のスキルも身に付き自信が付いた頃、某シンセメーカーの営業所が福岡にでき、行きつけの楽器店でその営業担当者とよく顔をあわせるようになり「デモ演奏できます!」と自分を売り込んでみたところ、営業所で面接を受ける事になりました。夢と希望に満ち溢れその場へ行くと「なんか弾いてみて」と言われ崖の底へ落とされました。長い事オリジナル曲か歌謡曲のコピーばかりしてて覚えているのはリフと白玉演奏ぐらい。うかつでしたが「浮かれて何も準備してな

何故ビンテージシンセサウンドに魅かれるのか?(その11)

旧友と再会しエレポップユニット結成某シンセメーカーで販売員兼デモ演奏してましたが、10万円ぐらいのエントリーモデルが数台売れた程度で、全く売れなかった時は営業担当から怒られとうとう喧嘩して、バイトのお声が掛からなくなりました。ちょうどその頃、故郷の高校の友達と再会した時に、彼が作詞作曲した歌を聴いたらなかなかよく、ちゃんとした楽曲としてアレンジしMTRで歌録音したところ満足する仕上がりになり、自然とその彼とエレポップユニットとしてライブハウス出演や音楽コンテストに応募するまで

何故ビンテージシンセサウンドに魅かれるのか?(その12)

やりがいあったグループも人間関係で崩れた大学を中退し故郷に戻り、旧友と音楽活動に没頭していましたが、そんなある日メンバー間の「秘密」を知る事になりました。旧友の彼は後に加入した女性メンバーに手を出し、果てはその友達にまで手を出すという「無類の女好き」でした。彼の才能に魅かれてましたが、純粋に音楽を愛し取り組んでいた私にはとても理解しがたく、致命的な事に私が知らぬところで浮気のアリバイに使われ、口裏合わせる事ができないので浮気がバレ、彼との関係にヒビが入り1年も経たずして彼との

何故ビンテージシンセサウンドに魅かれるのか?(その13)

当時流行りの「ブラックミュージック」に挑戦平成に入り「ダンスブーム」が到来し「ハウスミュージック」や「ヒップホップ」そして“ニュージャックスイング”の「ブラックミュージック」が注目されるようになり、DJやラッパーなど従来のミュージシャン以外の方達にも打ち込みが浸透してきました。そんな世の流れともあり「エレポップ」に見切りをつけた頃、知り合いを通じて「地元のタレント兼ラッパー」の方を紹介してもらい、その方が毎週出演されていたラジオ番組や地方イベントでの演奏メンバーに加わる事にな

何故ビンテージシンセサウンドに魅かれるのか?(その14)

勤めていた会社の命令で音楽制作をする事にいろんなジャンルにも対応できるようにビンテージから最新のシンセ、パソコンならび周辺機器、ソフトを借金して色々揃えたのですが、覚える事がどんどん増える一方、借金返済で仕事も頑張らないといけない現状でバンド活動は控えマイペースで音楽制作をしていた頃、勤め先の大口取引先が新店舗を立ち上げるにあたり、ロゴ等のCI、VI、宣伝ツールなどの総合プロデュースが内定しました。そのテレビCM制作から派生し私に「CMテーマソング」制作の白羽の矢が立ちました