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走ること(、寝ること)。

もはや書かずにはいられなくなった日記。

自分は割と新しいことを習慣化させることが得意なほうだと思う。

ハードルを低めに設定して継続することに重きを置くやり方。

この方法で軽度のウエイトトレーニングを(ほぼ)日課にして5年。

最近も日記に加えて新しい習慣を獲得しようと試みている。

それは走ること。
所謂ランニングというやつ。

でもランニングなんていう大層なものではない。

自宅から5分ほど歩いて河川敷に行き、4〜5kmを自分のペースでゆったりと(時々は頑張って)走るだけの軽い運動。

目標設定も軽めに週1回。

これ位なら体と時間への負荷が少ないし、何より天気が悪い時期でもタイミングを見計らえば簡単に目標達成できる。


✳︎


ランニングというのはどこか”意識高い系”の要素を少なからず含んでいる印象がある。

自己啓発本は口を揃えて走れだのジムに行けだのと訴えかけている気がするし、実際のところストイックにジム通いをしている人たちは本当に凄いと思う。

しかし僕が走ることを習慣化しようとする動機は少し変わっている。

それは、”車社会への抵抗”だ。

僕は日本でもトップクラスの車社会県で生まれ育ち、残念ながらそこを脱出できずに今も同じ土地で暮らしている。

そして、レジャーならばまだしも普段使いでの車というものに辟易している。

だから何も予定のない休日は車を全く使わずに自分の足で行動するよう心がけている。この前も限定上映されている映画を観に片道90分かけて映画館まで歩いた。

車社会の最も悪しき点、それは足腰の劣化。

電車移動を基本とする人々は沢山歩いたり階段を昇り降りしたりして、2本の足で立っている時間が長い。

車社会の人間は重力に逆らわない楽な姿勢で1日のほとんどを過ごす。忙しさを乗り越えて充実感を覚えた日だったとしても、自分の脚で移動した距離なんてたかが知れている。それでいて油ぎったラーメンを食べたり疲れた顔で晩酌をしたりするものだから、体に悪いことこの上ない。

車社会の人間の足腰はいつの間にか劣化し、彼らは余計に動かなくなる。

僕はそんな車社会に抵抗したい。
周りと同じことをして選択権を減らすような真似はしたくない。
だから走る。

ただ走りたいのならジムや体育館へ行けばいいのだが、運動をするために車に乗ってスポーツ施設にいくという行為に動機に対する矛盾を感じる。

僕はそれほど運動が得意ではないから、身体を鍛えるためにトレーニングをすることは性に合っていないし長続きしないだろう。

しかしながら僕は強烈な信条や思想を持っている。

その信条を貫くために新たな習慣を定着させたい。


✳︎


走るようになって気づいたこと。

それは走っている間は雑念が消えるということ。

最近はいつになく思考が常に渦を巻いていて、無駄に不安や恐れを感じる瞬間が多々ある。些細な発言や行動を振り返っては過度に後悔し、自分に対して自信を失いかける瞬間もある。

本を読んでも映画を観てもどこかモヤモヤとした気分。

そんな時は寝るか走るかしかない。

自分の頭に思考が入り込む隙間を極力小さくすることが大事。

何もしない暇な時間や無気力な瞬間があるならば、走りに行くか寝ようと思う。

間違ってもお酒に走るような真似はしたくない。

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