最近思うこと感じること

ここ最近色んなことを考える。家族のこと、将来のこと、自分のこと、愛のこと。全て纏まりがないようで全て1つの種から始まってることなんじゃないかなと思う。

ここで私の現時点での考察を。

家族のこと

私は今年の6月家を出た。母と不仲だったから。約半年が経って、多くの—両親が正常だった家庭で育った—人たちには理解のできない事だということもよくわかった。このことは詳しく別のnoteにまとめるつもりでいる。

そして、私は現時点で母を除く全ての家族に対して与えると決めた。これもまた最近感じたこと。自分の持てるもの—時間やお金を出して買えるもの—は積極的に与えるべきなんだと。お金は働けばいつでも手に入る。時間もまだ20そこらなら沢山ある。いつでも補充可能なものを勿体ぶって、今しか手に入らないものを逃したくない。

あと思っていた以上に私は母親の件を克服できていなかった。

愛のこと

最近本を読んだ。エーリッヒフロムの愛するということ(原題: The Art of Loving)。私にとって、読み始めたタイミングは最高だった。ものすごくためになった。様々考えさせられた。そもそも、「愛する」ってなんなのか。この答えを持ってない人は割と多いような気がしている。この本はその「愛する」という技術の習得のための教科書のようなものだと思ってもらえればわかりやすいと思う。まず、「愛する」技術の知識(これが大部分を占める)、次に技術の習得の仕方について。

私は「愛」とは与えることだと思う。自分の持てるもの—時間、お金、技術など—。与えることによって、自分は与えられるほど持っていると自覚する。幸せである。

将来のこと

私は正直就活が嫌だ。企業説明会?学校で開催されたイベントに参加したが吐き気がした。

考えてみた。どうしてここまで拒絶反応が起こるのか。
まず、就活生たち。完全な私の偏見かもしれないが、自分の将来を考えているようでなにも考えていないように見える。少なくとも今の日本では就活する人がマジョリティ。当然のことながら流れに乗るのはエネルギーを使わないから楽だし、目立たない。目立つのは多くの人にとってすり減ることだからそれを避けようとするのは当たり前かもしれない。その流れの中で、「私はこんなことをやりたい。」嘘だ。本当はもっとやりたいことがあるだろうに。惰性で、省エネで、生きてるようにしか思えない。自分を殺して、社会のコマになって、死ぬときに後悔を残して死んでいく。それがその人の人生なんだから私がとやかくいう問題ではないのだが。
次に、みんなどうして黒のスーツ着るのか(もちろんみんなが着てるからって理由以外で)、どうして同じ髪型をして、同じ志望理由並べて。そんな人たちに個性を求める企業にも呆れてしまう。ベルトコンベアに乗って流れてきた同じ製品たちに、「他とどう違いますか?」って。シュール。
「就活のためのボランティア」「自己PRのための海外留学」。理解不能。特に就活のためのボランティアの話は人に話すたびに感情がグラグラしていつも泣いているような気がする。行動自体は確かにすごいことだと思う。でも、それに対して純粋に感謝してる人がいる一方で、就活のためになったぜって思ってる。この偽善が許せない。就活ってマスカレイドなの?「"沢山の人"に認められてる"大きな"会社に認められる=社会的に価値がある」?そもそもお給料が高い方がいいって言うけど、自分の労働の対価としてお給料が入ってきてるって分かってる?そもそも自分にそこまでのお給料を出すだけの価値がある人間なの?

多くの人は大学に行きたいから大学に行くのではなく、みんなが大学に行くから大学に行く。就職したいから就活するんではなく、みんなが就活してるから就活をする。これは、主体的な選択じゃない。自分の意志で選択してないから。自分の意志で選択しないと後悔する。他人のせいにする。自分の行動に責任を持てない。こんなの大人じゃない。
もし就活したくないなら、就活なんてしないでバイトで生きていくことだってできる。毎日バイトしてればそれなりの生活はできる。就活しなきゃいいじゃん。就活するって選択をする人がマジョリティだからその制度は継続する。
結局、多くの人は一歩を踏み出す勇気がないだけ。自分の意志で行動しないから社会に搾取されて、最後に死ぬ時に後悔が残る。みんな自分の手の中に自由があるのに、それに気付いてるのに気付かないフリ。マイノリティになることを恐れて、他人の価値観に従って生きて、自由にならない。自分から自由を避けてるのに、それすらも他人のせいにする。自由の見て見ぬ振りなんてすごくもったいないんじゃないかな。
もっとみんな自由になればいいのに。やりたいことやればいいのに。やりたくないことはやらなければいいのに。
どうして就活しなきゃいけないの?ねえ、今本当に楽しい?自由に、自分に素直に生きればいいじゃん。何に縛られてるの?自分から勝手に縛られにいってるんじゃないの?

就活に参加することでそんな自分から縛られに行ってるような人たちと同じ一括りにされたり、シュールなことしてる企業に関わったりすること。これが就活をここまで拒絶してる根本なのかと。結局私も側から見れば縛られに行ってる人たちと同じなわけだが。

実は私はしばらく前まで留学しようと思っていた。英語の語学留学である。この夏、Camino de Santiago というスペインの巡礼の道を歩いた。それまで私は英語は必要ないと、私は日本で生きていくから、ずっとそう思っていた。ところがそこで出会った人たちとまったくコミュニケーションが取れなかった。ものすごく悔しかった。日本人に翻訳してもらわないと理解できない。秋、ニューヨークにいる叔母と従弟に会いにいった。8歳になった従弟は日本語が話せない。たくさん伝えたいことがあるのに、なんで言えば分からない。そんな言いたいことの種みたいなものが芽を出せないまま、胸の奥底にどんどん積もっていくのを感じた。今まで思ってたことの輪郭がはっきりしたような気がした。

ところが帰国後家族で話す機会があり、父の病気のこと、それによって弟の学費は今までかけてきた学資保険を使う可能性が高いことを聞いた。私にとって大切なのは、家族。弟が大学を卒業するまで、とりあえずは私が働こう。学費が足りなくなったら私が少しでも負担できるようになろう。その代わり弟が卒業したら、私の好き勝手にやらせてもらう。

同じ就活をするのでも、受動的ではなくあくまで能動的に。出来るだけ自分が壊れない方法で。

自分の愛すべき人間のために。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?