わたしの生い立ち

noteを書くにあたって、自己紹介を兼ねて、わたしの生い立ちを紹介しておこうと思う。

私は現在大学3年生。

歳が3つ離れた弟がいて、幼い頃のおもちゃの取り合いとか、そういうこと以来、大きな喧嘩はしていないように思う。すごく仲が良いと言うほどでもないが、悪い方ではない。会話のレベルも合っていたので家庭の中ではお互い一番よく話す相手だった。

私が高校1年生か2年生の頃、両親が離婚した。親権は父と母で争うも、弟と私の意思により母に親権が渡った。その何年か前には父が家を出ていたように思う。

ちなみに、この先読み進めるとこんな具合に記憶の曖昧な部分が多い。これも私の中で割と不思議なことなのだが、辛い思い出は意識的にか意識せずにか、記憶から消えている。おそらく思い出そうとすれば思い出せるのだが、身体が忘れようとしていることなので、とりあえず今のところはそのままにしている。

両親が離婚したが、私は無事に大学に入学することができた。

ところがしばらくして、父が癌になったという話を聞いた。大学2年生の春だった。母方の祖母と父はまめに連絡を取り合っていて、その祖母曰く、余命半年を宣告されたらしい。

「やばい。」

状況が飲み込めていなかった。ただ、父と別居する1年ほど前から、思春期特有の父親嫌いでほとんど口を聞いていなかったこともあり、ものすごい罪悪感。父が死ぬまでにそのこと謝りたい。

その春のゴールデンウィーク、父の入院する病院へ祖母とお見舞いに行った。しばらく見ない間にずいぶん父は痩せ細っていた。父は、数年前から口を聞かなかった娘が見舞いに来てくれたことをものすごく喜んでくれた。


それからしばらくして、私に彼氏ができた。人から求められること、私にだけ向けられた愛情や人の温もりが嬉しくて、母親に断らず彼氏の家に無断外泊を繰り返していた。

ある日アルバイトを終えて家に帰ると、普段ならインターホンを押すと玄関を開けてくれていた母が開けてくれない。リビングの大きな窓を叩いても開けてくれない。「帰ってくるな」と怒鳴り声が聞こえた。家に帰るのは諦めて彼氏の家に泊めてもらうことにした。 翌朝母が仕事に出た頃を見計らって家に帰り、支度をして学校へ向かった。こんな生活が1週間続いた。

毎日母のいる時間に家に帰ってはみるものの、窓の向こうに立って、「うるさい、帰ってくるな」と言って、私に背を向けて家事をし始める日もあった。私はその背中を未だに忘れることができないし、きっとこれからも忘れないと思う。

そんなことで、私は家出を決めた。

計画を立て始めると思いの外、事は早く進んだ。父と2人暮らしをしようか、2人で暮らせるアパートを探そうか、いつ家を出ようか....

家を出る日を決め、2、3週間前から母の目につかない荷物から順に毎朝自転車で運び出し、父の家に置いて学校へ向かう。

大学3年生の6月末、梅雨の小雨が降る日。犬の最後の散歩を済ませ、普段家を出るときのように、生まれてから20年と5ヶ月過ごした家を出た。

と同時に、癌で仕事を辞め、趣味もなく、一人暮らしの部屋でただ1人、病気と向き合っていた父は孤独から卒業した。


余命半年宣告から1年半、家を出て半年が経った。父はまだピンピンしている。当分死にそうにない。家出をした日から私は愛情を知った。母は多分、幼い頃に十分な愛情を受けてこなかったんだと思う。

今は、まだ乗り越えられない。

でももし明日、人類が滅亡すると分かったら、真っ先に、母に謝りに行くんじゃないかななんて思っていたりする。

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