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全落ち→(ほぼ)第一志望のみ合格のむちゃくちゃな一浪の記録

私は浪人の一年間で、何を成し遂げたのだろうか。

浪人生活が終わろうとしている今、ふとそんな事を考える。

一年前。高校の卒業式が終わった頃。
その時にはもう、大好きな大好きな人とは、どうあがいても進路の都合上、離れ離れになってしまうことが確定していた。自分は国公立前期の結果が出る前から、そして結果が出て、後期試験の結果を待つまでの間も、なんとなく心の何処かでこのまま浪人するのかな自分、って思っていた。落ちてから考えれば?って思わなくもないが、直感は意外と当たるものだ。

浪人するのかもしれない、親友たちと離れ離れになってしまう、そんな将来に対する漠然とした不安に押しつぶされてリアルに毎日泣いていたし、一人で泣くだけならまだしも、親友と遊ぶと帰りがけに公衆の面前で泣き始めるというとんでもなく重たい女になっていた。そういえば、不安って漠然としているからきっと不安なんでしょうね。感情が向く対象のがもっとはっきりしていれば、多分もう少し解像度の高い感情を向けられると思うし、解決策が提示できる場合なら、解決策を探す努力ができるような気がします。


ともかく、私は普通に大学受験に全落ちし、親友たちはなんと全員が第一志望に合格した。難易度の高い入試を突破した親友たちがあまりにも輝かしく見えて、口を開けば高校時代の週末と同じような雰囲気でおしゃべりできるのに、なんだか別の世界の住人のように感じた。ただ、ひとりだけ、仲良しだった友達が浪人を決めていたので、その子の存在は支えになっていた。


一年、とてもとても長かったような、一瞬だったような、不思議な気持ち。
とんでもなく長い自分語り…まあ、誰かの参考にはならないかもしれないけれど、浪人の記録として振り返っておこうかなと思う。

三月。国公立前期後期全落ちという現実(※謎の自信があり私立は受けていなかった。本当に馬鹿。)、浪人という現実、そして大好きな人達と当たり前のように毎日会うことはもうかなわないという現実。とにかくさみしくて不安だった。勉強は多分してなかった。予備校の説明会、親友の引っ越し、色々なことがどんどん現実味を帯びていった。親に頼んで大手予備校K塾に70万を投資していただく。後期試験の結果が三月の下旬に出たが、気持ちの切り替えとかそんな事を言っている暇なんてなく予備校のクラス分け?テストなどがあって、確か泣きながら受けた気がする。

四月。とりあえず環境に身を置かなければならないと決意、開館から閉館まで予備校に入り浸る生活を開始した。浪人は人生を無駄にするものだと本気で思っていた&現役時にもそれなりに努力したという自負がありこれから一年間頑張れる自信がなく結構病んで予備校のトイレで号泣していた。しかし人間意外と丈夫なもので、いちばん苦手な教科の数学の問題集を毎朝1時間解いてから予備校に行くくらいには浪人生をしていた。元学年部長が出張ついでに会いに来てくれて、公園で立ち話した記憶。俗に言う、考えても得しないこと、を考えていた。努力の価値とは、浪人の意味とは、その他諸々。そう言う哲学をするのはよくない、考えている暇があったら勉強しろ、とよく言われたけれど、逆だと思う。考え続けることでしか立ち続けられなかったし、戦えなかった。自分の存在や行動の価値とか意味は、自分でしかつけられなかったから、ただでさえ社会的身分が最底辺の浪人生はそうやって生きていくしかなかった。

五月。GWに親友たちと会った。もちろんGWも授業はあったので授業の合間にお茶した感じ。大学生羨ましいという気持ちよりはみんな頑張ってるんだなあって思えて普通に刺激になったしモチベでしかなかった。このころから志望校を変えようかと迷い始める。(学力的にというよりは将来の自分のやりたいこと的に他の大学のほうがいいのでは?となった。)本格的に模試が週末に入ってくるようになる。少しずつ暑くなってきたけど、夏が来たって思いたくなくて、そこそこ暑い日でも長袖を貫いていた。予備校の予習と復習だけで基本的に一日が終わっていった。

六月。この頃には現役時の志望校に全くと言っていいほど惹かれなくなり、そして新しい方の志望校を調べるうちにどんどん魅力的に思えてきた。ちょうど新しい方の志望校の学園祭があったので親に頼み込んで行かせてもらう。(そして親友の家に泊まった。最高に楽しかった)新しい方の志望校は親友たちが住んでいる地域に近かったので、自分の志望動機は親友たちに会いたいからという極めて不純なものじゃないかと自己嫌悪に陥っていたが、やっぱり大学そのものに惹かれているなと思った。志望校のオープンキャンパスや学園祭は行けるなら絶対に行くべき。現役時の志望校はまわりが志望していたから〜となんとなくで決めてしまったので尚更そう思う。行ってみるとまた違った思いを抱けます。きっと。
さらに現役時の志望校の教授にお会いする機会をいただいた。色々話して結局新しい方の志望校がいいね、となったのでほぼ自分の中では志望校を変える意思をを固めつつあった。
余談だが、六月は浪人生がドロップ・アウトしやすい時期らしい。気候は不快だし、生活にも慣れてなあなあになるし、大学生の同級生はエンジョイしているしで気持ちはわからなくもない。あとは、五月ごろに受けた模試が返ってくるのもこの時期。春夏の浪人生は当たり前のようにA判定がポンポン出てしまうけれど、油断大敵。最低限、授業には出る、朝は決まった時間に起きるべし。

七月。予備校は予備校で仲良しになった集団が騒ぎ始めたりと治安があんまり良くなかった記憶。この頃に、化学基礎がどう頑張っても伸び悩んでいたし自分は化学基礎に対して面白みを感じなかったので独学で地学基礎をやろうと独断。こっそり参考書を買って勉強をし始めた。地学基礎は地理と中学理科が嫌いじゃないならだいぶおすすめできる教科だと思う。実際に浪人の夏から始めたけれど、共通テスト本試では満点を取れた。同時に志望校を変えることをチューターさんに相談という体でほぼ事後報告した。(ごめんなさい。)そして、予備校の通期授業が終わって自由に使える時間が一気に増えた。ひたすらに前だけ向いて走っていて、意外と時間が過ぎるのがはやいなあなんて思っていた。けどよく考えたら浪人始まってからたったの3ヶ月しか経ってないのよね。


八月。まるまる一ヶ月フリーダムだった。とはいえ夏期講習や模試はある。自分は夏期講習は四講座取った。多分少ない方。でも夏までのテキストや授業の復習をしていたらそれだけでパンパンだったのでちょうどよかったかなあと思う。この総復習は達成感もあるし自分のためにもなるから自分的には正解だったかなと思っている。ほぼ毎週末に模試が入ってくるので体力が本当にしんどかった記憶。単純に模試&その復習で時間も取られるしね…。なんだかんだで一日だけ体力が限界を迎えて家で寝ていたけれど、それ以外は予備校に通い詰めた。あとこの時期のインスタはあまり見ないほうがいいかもしれない。大学生キラキラしているとやっぱり多少落ち込んでしまいます。(仲良い子の楽しそうな投稿はその子が楽しそうな様子が見られるのでニコニコ見ていたのですが、顔見知り程度だとちょっともやもやしました)親友たちとも会いました。お昼だけ、授業の合間、とかだったけど、リフレッシュできたし、親友に会うんだから頑張らなきゃって思えたし、実際頑張れた。

九月。志望校を変えたので予備校のコースを変えた。その都合で校舎ごと変わることになり少しだけワクワクしてでもやっぱり不安だった。講師陣は一部被っていたことはいいものの、新しい志望校の志望者は私以外全員男子でどうしようかと途方に暮れた。がしかし、徐々に打ち解けて話せるようになった。予備校で友達は作らない方がいいと言われることもあるけれど、私は仲間がいたほうが頑張れる(開館時間に毎日予備校に行くような人と仲良くなると、サボってるって思われたくなくて自分も開館時間に予備校に行くようになる。授業とか自習室も同様。)し、人と話さないと病むので挨拶だけでもできる人がいるのは精神的に大きな支えになった。あとは単純に情報交換ができるのも強い。模試の成績晒すとかじゃなくて、こういう分野が頻出なんだよねーとか、採点基準がこんなかんじなんじゃない?とか話せる。(去年受験した人の開示や手応えに基づくものではあるが)。なんだかんだで新しい校舎にはわりかしすんなり慣れた。共通テストの出願が始まり、焦っても良いことなんてないのにひやひやした。

十月。ほぼ毎週末に模試。本当に心身ともに削られていく。よく病んだ。常に頭痛と戦っていた気がする。模試の復習と過去問演習も授業の予復習と並行してやらなきゃいけないので普通にキャパオーバー。(現役時と違う志望校なのでなおさら)。このころに夏に受けた模試が返ってくる。現役時の志望校の模試の判定がAだったので流石に敵前逃亡したとは思われないよなとか不躾なことを考えていた。不思議と手は止まっていなくてずっと勉強していた気がする。たまたま親友が返ってくるのと私の授業がお休みになるタイミングが合ったため、親友と夜ご飯にいった。夢みたいに楽しかった。この時にもらったお守りとお菓子は後に大活躍してくれた。

十一月。十月ほどではないが週末は模試だらけ。疲労が溜まってくる時期。精神的にも不安定になる。たぶん全員そう。現役が追い上げてきて、余裕を持って良い判定を取れていたはずなのに案外そうでも無くなったりしてきて普通に焦る。(共通テスト模試で私は点数上げてるのに偏差値下がるとかあった。)現役生怖いね。共通テストが近づいてきてやばいなあと思いつつ、なんとかなると信じて過去問というか二次試験ベースの勉強を続けていた。

十二月。予備校の通期授業が終わる。浪人なんて早く終わってくれと思いつつやっぱりなんとなくさみしいと言うか名残惜しい気持ちになる。そして共通テスト全振りマシーンになる。朝から晩までありえないくらい勉強したと思う。特に第一志望の大学の理科基礎の配点が高かったため、狂ったように理科基礎を回していた。冠模試の結果が帰ってきたり、クリスマスのキラキラムードに押しつぶされたり、年末のワクワクムードに流されそうになったりするけど鋼の意志ではねのけるしかない。ふたご座流星群が見られるとか言って一端の地学基礎選択としてうきうきしていたのに雨降りで見えなくて落ち込んでいた。


一月。元旦は予備校が休みだったので私大の出願をして共テ会場の下見に行っていた。帰省しなかったので母親が会いに来てくれた。人生で一番年末年始感がなかった年末年始だった。元旦以外は例によって缶詰。もうメンタル勝負だと思う。共通テスト前日に大好きな人から手紙が届いてものすごく勇気づけられた。現役のときと違って1人で受験に行くからちょっと心細かった。と思ったらまさかの前の席が同じ予備校の子だった。そんな事ある????現役の時よりもプレッシャーと緊張がすごくて、一時間目の地理は頭が真っ白になって半分くらいカンで解いていた。ラムネをODしながら乗り切ったが正直最後の数ⅡBは頭が朦朧としていた。(当然点数も悪かった。)さらに得意科目の地理で浪人時代ワーストスコアをとったものの、結果現役時から約60点上げることができたので素直に嬉しかった。そのはずなのに、自分なんかがこんないい点数を取ってしまっていいわけがない、なんていう謎思考に陥りそれはそれは病んでなぜか三日間くらいご飯を食べられなかった。多分燃え尽きもあったのかな。病みつつも勉強はしていたが心ここにあらずいうか惰性でやっている感じが強かった。淡々とタスクをこなしているだけでもうモチベを保つための基本的な精神力がなかった。共通テストまでなんだかんだずっと走り続けていたのに急に頑張るための気力がなくなってなんでできないのかなって思っていた。ただこのままで終わらせるのは自分の中では許されないので無理やり自分のケツを自分でひっぱたいて(物理的にではない)勉強していた。親友から大量のメッセージ入りのピュレグミと手紙が届く。そんなことをする親友をたまらなく愛おしく思いけらけら笑った。ピュレグミを大量摂取する日々が始まる。

二月。一日一日が過ぎるのが本当に遅かった。やる気が出ない時病みそうなときはピュレグミを詰め込んで勉強していた。ただでさえ気力がなかったので併願私大の勉強のやる気が全然でなくて結局過去問は三年分とかしか解かなかった。ただ、その分第一志望の国立の過去問をぶん回していたとは思う。(自分の手元にあったぶん+手に入ったぶんは全部回した)。多分色々限界で(後にチューターさんに共テ後が一番ずっとしんどそうに見えたと言われたから実際そうだったんだと思う)、私大入試の日or前日は泣いていた。ひどいときには試験開始のチャイムと同時に涙が出てきた。なんの涙かは今もいまいちわかっていない。ちなみに、当然の如く私大は超超超滑り止め(第一志望より偏差値が20近く下の大学…)以外は落ちたが、二浪はしないことが優先条件だったため、両親と相談して追加で去年絶対に合格したレベルの私大(超超超滑り止めよりは行きたい大学)に出願した。全落ちに等しいので普通に悔しかった。大した対策もしていないくせに。
先述の通り精神状態がすこぶる悪かった&受験のスケジュールの都合上2週間で3回新幹線で往復したりと体力も精神力もズタボロだったけど何故か受験日以外は受験前日を含めて遠征先でも毎日予備校に缶詰になっていた。第一志望の力は偉大。第一志望の国立は可もなく不可もなく、いつも通り、って感じの手応えだった。あと当たり前だけど第一志望の入試は泣かなかった。信じられないかもしれないけれど、緊張より、どちらかと言えば第一志望の大学をもう一度訪れられる喜びが大きかった。あとは浪人生活が終わる喜びもあったかな。受験にはありえん量のお菓子を持って行った。友達や先生から貰ったお菓子はパワーをくれる。

三月。どうしようもないので国公立後期の勉強をするが前期(第一志望)の合格発表が気になって仕方なくて、そわそわして手につかない。予備校の階段を七階まで登っては降りたり、何時間も散歩したり、家で奇声を発したり、けったいな動きをしたりと奇行に奇行を重ねていた。予備校の自習室はガラガラで、いる人も多分次の受験生だなって人だらけだった。どうしようもなかったので、なぜか受験が終わったあとに有名な神社にお参りに行った。普通に性格が悪いので、落ちた私が悪いのに、私大を確実に押えている人を羨ましく思ってしまった。
合格発表の日はずっとソワソワしていたけれど、早くソワソワから解放されたくて、そして謎の自信があって、合格発表の時間と同時にサイトを見た。番号があった。不思議と冷静だった。ずっと実感がわかず、色んな人に本当に番号があるか確認してもらって、合格していることが確実にわかってホッとした。



結局浪人して私は何を得たのだろう。
周りの同級生が、学業や様々な活動、バイト、サークル、留学などに精を出して、沢山色々な経験をしている一方、私はひたすら毎日同じ景色を見て、シャーペンの芯を交換する毎日だった。

1年、地元には帰らなかった。家の手伝いも最低限しかしなかった。ひたすら親不孝者だった。(時間的には帰る余裕があったが、帰ったことを後で後悔したくないなと思っていたのと、生活リズムが崩れることを懸念していたため)

結構ありえないくらい勉強したと思う。成績はたしかに上がった。しかし、結局私大は全落ちに等しい結果に終わったし、そもそも上がったとは言っても爆上がりした訳でもない。

大学生になった親友たちとは全然会わなかった。浪人のときの受験が終わってからも、合格するまで会わないって決めていたのもあって尚更。多かれ少なかれ迷惑をかけたと思う。私が大学生だったら当たり前にできていたことが全然出来ないんだもん。LINEの会話ですら、普通だったらしなくていいような気遣いをさせてしまっていたかもしれない。


色んな人に支えてもらった一年だった。感謝しかない。そしてきっと、浪人は無駄じゃない。

7000文字弱の超長文になってしまったが、きっとこれが1年の重みだと思うことにしよう。今年、というか、今年度こそは、何か面白いのものを作りたいし、面白いことがしたい。たくさん本を読んで、いろんな人に会って、様々な経験がしたい。そして、色んな人に、いっっっっっぱい恩返しするんだ!!


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