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アルゼンチンで一人前の焼肉奉行になるまでの話

『日本にいないエッセイストクラブ』やってます!
世界各国に住む物書きのみなさんでリレーエッセイをはじめました。その名も『日本にいないエッセイストクラブ』。第一回目のテーマは「はじめての」。3人目はアルゼンチンの奥川駿平から、4人目は記事の最後に紹介します。告知記事はこちら、随時エッセイをまとめているマガジンはこちらです。

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2015年にアルゼンチンへ移住した。今回のテーマは「はじめての」なのだが、なかなか難しい。海外生活をしていると、ありとあらゆることが「はじめての」になる。はじめての挨拶、はじめてのお使い、はじめての友達。たくさんの「はじめての」の中でも、アルゼンチンならではのものは、はじめてのアサドだろう。

アサドとは、この国に伝わる伝統炭火焼肉のことである。アサドのスタイルは様々だが、一般的なのはドラム缶のような釜で焼くもの。もともとガウチョ(アルゼンチンのカウボーイ)発祥料理だったこともあり、アサドの作り手は男だ。そして、アサドを作る人をアサドールと呼ぶ。アサドールは、火起こしから肉の味付け、切り分けまで行ういわば焼肉奉行だ。

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これまで数回、アルゼンチン人の友人とアサド作りにチャレンジしたことがある。てっきり、彼らは若いながらもアサド名人だと思っていた。だってここの人々は、子供の頃から毎週のようにアサドを食べているのだから。僕の子供も姪も、歯が生え始めた頃から、牛肉の塊をチューチュー吸っていた。

だが、驚くことに彼らは火をつけられないどころか、アサドを作ったことさえなかった。どうしても火が木につかないから、ある友人はアルコール液をまき散らして、強引に火をつけたこともあった。

「今までアサド作ったことないの?」、こう尋ねると、誰もがこう答えた。
「ないさ。いつも父親が作るからね」

あぁ、単純に若い世代はアサドを作る機会がないのだ。ここでは誕生日やクリスマス、新年、母/父の日などの行事、そして毎週日曜日にアサドを作る。これらの行事に欠かせないのは、家族や親戚だ。いつも年長者である父やアブエロ(祖父)、ティオ(叔父)達がアサドを作るから、子供たちは出来上がりを待つだけ。

結婚して自分の家庭を持つまで、アサドを作る機会はない。いや、結婚しても父や義父が招待してくれれば、自分でアサドを作る必要はない。もしアルゼンチン人の未婚化が進めば、いずれアサドはなくなるかもしれない。実際に、ブエノスアイレス州などの都市部では、毎週末アサドを作る人が少なくなっているようだ。こうして僕はアサド絶滅説を唱えるようになった。

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いつも義父や妻の祖父がご馳走してくれるから、僕も移住して数年間アサドを作ったことはなかった。だが、この国に住む者として、やはり一人前のアサドール(アサドを作る人)になりたかった。そんな時に、出会ったのが妻のいとこゴンサルオ。

隣人で、年もそれほど離れていないこともあり、自然と僕達はゴンサルオ家族と時を過ごすようになった。ある日、ゴンサルオはアサドをご馳走してくれた。

一度も作ったことはないが、これまで何度もアサドをご馳走されている僕の舌は肥えている。そんな僕が認める、ベスト・オブ・ベスト・アサドだった。いつまでも口の中に残る力強い肉の風味、程よい柔らかさ。聞いてみると、特別良い肉を使っているわけではないようだ。

「ゴンサルオ、僕にアサドの作り方を教えてくれないか?」
「もちろん。ここに住んでいるなら、アサドは作れないとな」

こうして彼は僕のマエストロ(先生)になった。

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僕の先生と羊の丸焼きアサド

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ゴンサルオは素晴らしい先生だった。初回は作り方を見せてくれ、2回目は一緒に作ってくれる、そして3回目は僕一人に任せてくれたのだ。

それまでアサドは火をつけて肉を焼くだけの単純なものだと思っていた。だが、実際に自分でやってみると、その奥深さを痛感する。

まず火のつけ方から間違っていた。それまではアサド用の太い木を組んで、その中に新聞紙を入れてから火をつけようとしていた。しかし、ゴンサルオが言うには、まず木を細くしなければいけないそうだ。

トンカチで木を細く叩き割って、新聞紙に火をつける。木に火が移ったら、太い木を組む、こうすることで簡単に火がついた。

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火の準備ができたら、網の上にたっぷりの炭を置く。炭が焼けて白くなるのを待ちながら、ビールを飲むのがアルゼンチン流。銘柄はやはりクリアな味わいが魅力のキルメスだ。

その後、網から炭を落として、ワイヤーブラシもしくは新聞紙で網の汚れを落とす作業に入る。網は熱されているから、簡単に汚れや肉の脂が落ちる。この作業は丁寧に行わなければいけない。

そして味付けだ。基本的には、ナイフで肉を開いて塩を振るだけ。素材本来の味わいを楽しむのがアルゼンチン流。だがゴンサルオは、塩の他、刻みニンニクとパセリも塗り込む。この時点で、すでに美味い匂いが漂う。

網の下に少量の炭を広げて、残りは端っこに寄せる。肉を置き、釜の蓋をしたら、あとは適宜ひっくり返すだけだ。美味いアサドの秘密は、じっくりじっくりと焼くことにある。火ではなく炭の熱だけで焼く。文字通り、炭火焼である。そのため、アサドが完成するまで最低2時間はかかる。

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牛肉や鶏肉が焼きあがると、巨大ソーセージことチョリソーを置く。ゴンサルオが言うには、チョリソーはフォークを刺してひっくり返してはいけない。フォークを突き刺すことで、中に詰まった脂が流れてしまうからだ。熱々のチョリソーを手でひっくり返すのは辛いが、これもアサドールの役目である。初めてチョリソーをひっくり返したとき、僕は指をやけどした。

「君が初めてアサドを作ったのはいつだい?」
「家では親父が作っていたから、結婚してからだな。親父達はチリに住んでいるし、アサドを食べたければ、自分で作る必要があったんだ」

最後に血のソーセージことモルシーシャを置いて完成だ。こうして、はじめて一人でアサドを作った。2019年12月、移住4年目のことである。

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食事のシチュエーションは、多少なりとも味に影響を与える。アサドの場合は、やはり外で食べるのが一番だ。家の中から、机と椅子を持ってきて、皆が座る。

アサドールの僕は、フォークでまな板の上に肉を置き、食べやすいように切り分ける。それを皆が手掴みで食べたり、パンに挟んで食べたりするのだ。熱々の炭火焼肉が一番美味い。

だが、はじめてアサドを作って分かった。アサドールこそ、一番美味しくアサドを食べられることに。釜から出る熱気を受けながら、ナイフで肉を切り、手づかみで食べる。冷えたビールが身体を冷まし、口の中をさっぱりさせて、また肉を口に入れる。これ以上に美味い肉の食べ方があるだろうか。

日曜日は朝遅くに起床していたが、今は早起きしなければいけない。だって、僕のアサドを待ってくれている人達がいるのだから。

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次のバトンはインドネシアの武部洋子さんです。

昔、アルゼンチン人の妻が家で女子会やってたんですけど、その時に美味いアサドを作れる男はモテると言っていたんですよね。結婚4年目にして、初めてアサドを彼女に振舞ったら、「人生一美味しい!」と言ってくれて幸せでした。ただの惚気です!  『日本にいないエッセイストクラブ』、次回のバトンはインドネシアの武部洋子さんにお渡しします! 公開は3/2あたりを予定。お楽しみに!

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前回走者、イタリアのすずきさんの記事はこちら。

バックパッカーとして訪れた初めての海外タイのバンコクと今住まわれているイタリアの生活について。確かに長く住めば住むほど、新鮮さに溢れていた海外生活が日常になっていくんですよね。でもその国に住まない人にとっては、些細な日常こそ魅力的に映るのかも。手ブレ写真も合わせて、エモさを感じる文章でした。

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