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#35 「認知症になったら負け。」~高齢者がもつ謎の心理と介護拒否~

私の実家がある地域は、「政令指定都市」にもなっている、地方でもそこそこ規模の地域で高齢者福祉課などが主体となって「認知症予防」にも盛んに取り組んでいる。

そこで、市役所の高齢福祉課の主導で、ついに我が町にも「認知症カフェ」が開設された。「認知症予防」に関心が高い高齢者の方々で賑わう!! と、期待されていたが、それが、わずか1ヶ月で閉店してしまった・・・。

何故か?

「認知症カフェ」なんぞへ行くのは、
認知症になった”負け組”が行くところだ!!
あんな所へ出入りするようになったら、おしまいだー!!

地域の心ない噂より出典

という、心ない噂が地域の高齢者達の間に拡散されたからだ。

高齢者の「認知症予防」に対する意識は高い、高いが、その反面、
「認知症になったら負けだ!!」という”謎の意識”も非常に高い。


私の住む地域では、昔から近所に認知症の高齢者が出ると、その噂は、またたく間に拡散された。(SNSもないのにw)

「あそこ家のおじいさん、認知症なんだってよ・・・。」
「えー?!だから、よくウロウロしてるんだ。恐いねー。」
「あそこの家のおばあさん、認知症みたいよ?」
「だから、いつもおかしなこと言って歩いているんだな。恐えぇぇぇ~」
「誰も見ないんかよ?なんかあったら、どうするんだよなぁ?誰が責任とるんだ?」
「あの人、大きな会社で社長してた人でしょ?それなのに認知症だなんて・・・、気の毒ねぇ。(内心、ざまぁ!と、ほくそ笑んでいる。)

近所でよく聴かれるリアル噂話より出典

認知症になった親や近隣の高齢者を「ボケたんだ。ち。面倒くせぇなぁ・・・。」とか、「あぁは、なりたくないな。」「ボケたら、おしまいだよな。」と、自分達が、今までさんざ、そう言って、認知症患者を蔑んで来たのだから、今度は、自分がそう言われる順番だと、よくわかっている。

だから、彼ら彼女らは、認知症”予防”に余念がない。

そして、自分が「壊れて来た・・・かな?!」と察知すると、それを近所の者に覚られまいとして、一心に隠すようになる。この時には、おおよそ、以下の二派に分かれる。⬇️

① 認知症になったと覚られたくないから、サークル活動や「認知症予防の集い」に、積極的に参加して、愛想良く元気に振る舞う派。(社会的には”老害”を振りまき、家庭内では”暴れる君”になりやすい。)

② 認知症になったと覚られたくないから、家に引き籠もる派。(家族を徹底して遠ざける。➡️  孤独死の可能性が爆上がりする。)

Ilsa総研から出典

そして、この両派に共通するのが、徹底した『介護拒否』だ。

高齢者にとって、どこも見た目が悪くないのに、介護認定を受けるとか、介護サービスを利用するのは、「認知症になった証」を自ら認め、ご近所さんやサークル仲間に拡散することに他ならない。

自分もついに、「誹りを受ける側に落ちた」と、そう感じるのだろう。「介護サービス」を受けること、それは、彼らにとって、「絶望」でしかない―――。


そしてまた、そういう親世代に育てられてきた我々子供世代にも当然、「認知症」に対しての漠然とした悪しき心象(差別感や偏見)が継承されており、自分の親が認知症である事を周囲に漏らすことはできない。(=相談できる社会的雰囲気は皆無)

・自分の親が認知症になったなんて、近所から何を言われるかわからない・・・。(いや、わかっているからこそ。)
・親が認知症になったのは、自分のせいだと批判されるのが恐い・・・。
・親の認知症介護のせいで職場に迷惑をかけたくない。

家族側の介護拒否心理

そういう家族側から波上する「介護拒否心理」もあると思われる。

また、私の住む地域でも、介護施設の不足や介護人員不足など”介護資源”が枯渇している状態で、手厚い介護サービスや適切な介護サービスは、身体障害者や寝たきり高齢者に対して優先的に行うしかなく、見た目に不自由のない認知症患者は、要介護度が低く査定され、「特老」や「グループホーム」に入居が可能になる「要介護3」を取得できるまで、体よく「在宅介護」を勧められる。

しかしながら、見た目に不自由のない認知症患者ほど、その「破壊力」はハンパないんで。在宅介護なんて、正直、家族は困惑するばかりだ。

そこで、近所をウロウロ徘徊されることを嫌って、昔で言えば「座敷牢」を家内に設置し、認知症の親を体裁良く閉じ込めている家も多い。(これは仕事柄実感している。)

出掛ける時は、家中の窓を施錠し、エアコンをフル回転し、玄関のドアを厳重に施錠し、認知症の親にパンや冷たい弁当を置いて、仕事に出てくるビジネスケアラー達が職場にも数名いる。だか、それも社内では極秘事項だ・・・。


すでに介護従事者で専門職の方々、認知症の知識を習得している方々には、今更、信じられない事案だと思うが、私自身が、認知症を発症した母を7年も、ケアマネも介護サービスも付けられず、在宅介護してきた「外的要因」は、これに尽きる。

私が母の介護で戦ってきたものは、地域や当事者に連綿と継承されている、認知症や認知症患者への悪しき偏見と差別意識。それを恐れるあまりの介護拒否。

「見た目に不自由はないから。」と、在宅介護を強いらざるを得ない、
「介護審査のあり方」、「地域介護資源の枯渇」・・・。

私が今、高齢者福祉や介護に求めるものは、認知症の予防は勿論だが、まずもって認知症や認知症患者に対する偏見や差別をなくすこと。

認知症になっても、大丈夫だよ。
誰もあなたの事を、悪く言ったりしない。
何も心配しないでいいんだよ。
皆があなたのことを、最後まで支える。
安心して。

母にずっと伝えたかった事より出典

そういう当事者としての意識と
社会的介護体制の構築が急務ではないかと考えている。

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