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日曜日の位置づけについて

日曜日とは、一週間の中でどんな位置づけでしょうか。
私は、十数年前とそれ以降では位置づけが変わりました。では、どのように変わったのでしょうか。
まず、十数年前。それまでは、週の終わりの休みの一日。いわゆる「サザエさん症候群」という夕方になると、
「ああ、もうすぐ月曜日になる。いやだなあ。」
という感じでした。それに対して今は、
「新しい週のはじまり。また力をもらったぞ。」
という感じなのです。
この感覚を自転車をこいでいることに例えると、前者は、週末まで必死にペダルをこいで、週末は惰性で走って月曜日の朝、ほぼ止まりかけた状態で新しい週に向けて新たに力を入れて踏み込む感じです。一方後者は、日曜日に一気に力を得て踏み込んでこぎ出し、その推進力でスーッと進んで週を過ごす感じです。
では、この違いはどうして生まれるのかと言うと、それは、自分の信仰によるものです。2012年にバプテスマ(洗礼)を受けてクリスチャンになりました。イエスキリストを主と信じ、神さまが愛してくださっていることが生きる支えとなったことが大きな転換になりました。クリスチャンは、日曜日に教会で礼拝を守ります。ここでは、私たちを愛し、恵みを与えてくださる神さまに感謝と賛美を捧げます。この中で聖書を読んだり、聖書に基づくメッセージを聴いたりすることを通して、大きな励ましと希望を与えられるのです。
多くの日本人の方には、このような姿を宗教(この言葉は大嫌いです)に熱心というように見られると思います。ですが、私は、宗教に熱心なのではなく、神さまがまず私たちを愛してくださり、生き生きと生きることを望み、そうであることを喜んでくださっているという枠組みを信頼し歩むことが好きなだけなのです。このある枠組みに絶対的な信頼を置いて歩むことを信仰だとすると、信仰を与えられたことで私の生き方は大きく変わり、その一部として日曜日の位置づけも変えられたのだろうと思います。
神さまに与えられた恵みに感謝しつつ、新たな力を与えられ、新たな週の歩みが始まりました。キリスト教主義の学校の教師として子どもたちと歩む新たな週の歩みです。多くのチャレンジが与えられていますが、神さまに信頼し乗り越えていけることを期待します。
さてさて、心の糧は満腹状態ですが、体の糧は空腹状態なので、これから朝食をいただかねばなりません。最後までお読みいただき感謝します。新しい週も、よき一週間となりますようにお祈りしています。

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