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どんなに辛い時も「救い」はあるって本当?

◆ 置いていかれたように感じる時ってあるよね

世の中的に楽しいことが多い季節。

まわりや世の中の幸せな話をたくさん聞いた時。

わー、よかったなあ、嬉しい!

とか

なんだかわくわくするなあ!

とか思うものの、ふいにストンと自分だけがなんだか置いてかれたように思うことがある。子供の頃から。

私だけじゃなくて、そういうメッセージを頂くこともあるし、そんな気持ちをひっそり吐露する言葉を見かけることも多々だし、わりと誰にでもある感情だと勝手に認識している。

そういう置いていかれた感覚って、消えてしまうほど辛いことがあると肥大して完全に自分だけ別次元にいるように感じることすらある。

あまりに辛いと「人生に救いってないなあ」と思って絶望したりする。

生きていれば理不尽なことも多々あるし、普通に生活しているだけでもらい事故みたいにひどいめにあうこともある。

生まれ持ったものとか、環境とか、運とか、出会う人とか、いろんなものに足を引っ張られたり助けられたりしながら、進みゆくカレンダーの中で誰もがそこにいる。

今、生きている人すべて。

いろんなものが、ごちゃっとこの世界に放られていて、自分もその一部で、影響を受けたり与えたりしながら、あらゆることが繊細に乱暴に重なって、目の前の景色と今がある。

誰もが認めるめちゃくちゃいい人が早く亡くなったり、とんでもなくひどい人がのうのうと生きていたり、コツコツ頑張っている人がすごく貧乏だったり、ズルをした人が大金持ちで楽しそうにしていたりする。

いったいなんなんだ。

そう思う時、出会う書からや、先人からや、あらゆるところで登場する言葉がある。

それは

「どんな時でも救いは必ずある」

というものだ。

だいたいこういう類の言葉って怪しく感じがちだし、あらゆる宗教で使われることもあるくらいなのに、これにはそれをあまり感じない。

妙に世界に馴染んでいる言葉で、わりとグローバルな危険じゃない呪文レベルの言葉。

それでも正直

(そうかあ? 救いなどなにもない時だってあるじゃないか)

そう思う時もある。

大災害でなすすべもなく命を落とす人々、突然の事件に巻き込まれる善良な市民、幼い命が重い病で命を奪われる瞬間。

これを救いなしの絶望と呼ばずしてどうすると言いたくもなる。

自分にとんでもなく辛いことが起こった時もだ。

なすすべもなく、じいっと時がすぎるのを待つその時、時の流れを「救い」と呼ぶにしては非力すぎだろうと思ったりしたこともあった。

でも、年を重ねると、驚くべきことに

「どんな時でも救いは必ずある」

ということが、どういうことなのかわかるシーンが増えてきた。

子供の頃は演歌の歌詞の意味とかぜんぜんわかんなかったけどー、みたいなことと似たようなことだろうか。

とにかく、その「救い」が何を指すのかに気づいてからは、確かに、その言葉がポワッと光って居場所を知らせ、助けてくれることがある。

どうもこの言葉は、意味を理解して、こちらから歩み寄って、やっと力を発揮するらしい。

人生は辛いこと多々。

そんな時、どうやってこの言葉に助けてもらっているか。

シェアしたいと思います。

◆ 無理な前向きさは「救い」ではない

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