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差し押さえでピアノもオーディオもなくなった家庭の女子高生が、なぜピアノ弾き語りシンガーソングライターikuyoになったのか。
6日のお昼、以前からお会いしたかったボイストレーナーのフェルナンデスユウコ先生の発声トレーニングを都立大学前という駅で受けてきました。 ボイトレに限らず、ここまで生きてきて解決しなかったいろんな問題の共通した根っこの原因を、ユウコ先生のレッスンで気づかせて頂けた有益なひとときでした。 その帰り道、都立大学前で桜並木を散策中、なつかしいポルトガル語の看板が…。 そんな曲があったことも忘れてたけど、私が高1か高2の時に作詞作曲してピアノの弾き語りで歌っていた「CARNAVAL
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前回記事のライブで歌った曲から起こった奇跡のドラマ
前回記事の4年ぶりのライブで、私ikuyoが実話ベースの3つのストーリーとして作詞作曲した楽曲を歌ったことを書きましたが… なんと、その中のひとつ「I'm here」(作詞作曲/ikuyo)で歌われたご本人から、SNSにご連絡を頂きました。 (ちなみに私は、その場では何も言わずに後でしれっと曲にして歌いつつ、曲のモデルや登場人物にされた人達にはずっと黙ってることが昔も今も多いです) それが今回添付した私のライブ動画の曲「小さな願い」という曲を私にくれた路上詩人firiaくんです。 「小さな願い」作詞作曲‘/路上詩人firia 編曲・歌唱・ピアノ/ikuyo firiaくんとは20年前、私が喉の病気で歌えなくなってた時に当時22才で旅の路上詩人だった彼と、吉祥寺の井の頭公園でドラマみたいな不思議な出会い方をしました。 色彩鮮やかな錦絵みたいに地面に散らばった彼の絵と詩に私が足を止めた時、 「詩が好きなんですか!?」 と、ものすごく嬉しそうな笑顔で話しかけてきた金髪で全身黒づくめのV系ホストみたいな美形のお兄さんが、初対面の彼。 メディアにとりあげられて活躍してる人だとは全く知らず、たまたま同郷で隣の高校だったことで同窓会みたいにナゾに話がはずみ、楽しくなって詩を書いてもらいました。 というか私のマシンガントークに絶妙の返しをしながら(しかもおもろい)、なぜ彼が15分で私の話した内容から繊細で美しい詩と絵を描けるのか、ほんとナゾでしかなかったな。 この時に彼から15分で書いてもらった詩に突然メロディが降りてきて、私は20分で曲をつけてすぐにピアノをアレンジして歌い、4時間後その日のうちに吉祥寺のスタジオに行って簡単なデモ音源を作りました。 牡牛座の王道みたいな牡牛座だけに牛のようにドテッとして中々動かない私が、こんなに速い仕事をしたことは多分あとにも先にもありません。 (作詞15分・作曲15分で出来た曲だと後で自慢しようとワクワクしてたのに、私が5分負けたぜ…と、内心くやしく思いながら。笑) そして半年後。 東京で再会した彼に詩のお礼を言って、その「Wish Letter」という曲のデモを渡しました。 このことが後々、私の運命を変えることになる。 その後、九州に帰った彼とは物理的に離れましたが、主に彼の作詞・私の作曲で数曲を共作しました。 離れたあとも、沢山の人達とのご縁を作って頂いたり、ご本人と何回か音楽や人間関係や言葉のあやで大喧嘩をして疎遠になったり、節目には助けられたりまた再会したり… ほんとつかず離れずと数奇な、不思議な運命をそれぞれがマイペースにたどりつつ、その先にある「現在」が、今回だった気がします。 言葉を紡ぎ、旅をしながら路上で詩を書き、自分が辛いときも沢山の人達を感動させて、ありがとうを言われてきたかつてのfiriaくん。 綺麗な奥様と、ご両親似の美少年の息子さんを授かった現在も、その才能から他の分野で言葉を紡いで活躍されていて、やっぱり沢山の人達からありがとうを言われてます。 そのことや、今回のご連絡が、ほんとにうれしかった。 音楽やってて一番私が幸せだと思うのが、こういうことなんだと思います。 firiaくん、ほんとにありがとう! 私はこういう性格だから、いちいち話してなかったけど、あなたやあなたの言葉には、自分の翼が折れた時に何回も羽をもらってました。 それが、私自身が思ってもなかった意外な時も含めて、この20年間に何回もです。 その羽をくれたあなたは、あなたが生きてきたことが出会った人達を幸せにしていることに、一生誇りを持って下さいね。 あなたもあなたの周りの人達も幸せになることを、歌いながら一生願ってます。 人生、ほんとなにがあるかわからないし、どんな出会いが、後でどんな未来につながるかわからない。 ひとつひとつのドラマを、音楽でも保育でも大切にしていきたいです。
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