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眠れぬ夜、ひとりの女、悪魔払い 2024.05.16 in Tokyo

2024.05.16 Tokyo 眠れぬ夜、ひとりの女、悪魔払い

午前5時。インドから戻ったあと、滅裂な時間の寝起きを続けている。一応、時差ボケということもあり、元々夜はよく眠れないのだが、それが酷くて明け方になるまで、あるいは明け方になっても眠ることができない。それで今日は諦めて起き上がって机に着いた。湯を沸かして蓬茶を煎れる。机の上が帰国後から酷く散らかっている。本がその上や周囲の床に堆く積み上がっている。今の部屋には本棚がないし、この家も5月で引き払うつもりだ。昨日の夜から降っている雨がまだ降り続いていて、窓の外はどんよりと暗い。ベランダ越しに見える大きな銀杏並木もじっとりと濡れて重く項垂れている。眠れないと過去のことを考える。いろいろな考え事が去来する。役に立ちそうなものは、携帯を立ち上げてメモしておく。例えば自分の博士論文に関すること、これからやりたいことなど。ここ数日間で、自分の関心が一つの糸で繋がったような気がして、半透明な白い紐のような道筋が見えてきて、一人で静かに醒めた気持ちがしている。もう論理的にはある程度理解できた、と思う。でも、それを「本当に」理解すること、との間には深い分水嶺があるのだろう。論理的な理解の精度を上げながら、実践していくしかない。自分の内なる自然に向かって、記憶に、イデアに、〈存在〉に、あるいは井戸の底へと降りていくように。

眠れないときに思い出していたのはひとりの女のことだった。京都に住んでいた時、付き合っている女の子がいて、「女の子」と言うのは年齢が6つか7つは下だったからなのだけれど、その子の家に毎日のように通っている時期があった。それは京都の中でもかなり北の辺鄙な場所にあって、自転車で移動していたので家のあった京大の近くからは30分ほど掛かっていた。当時はお金もなく、細々とした親からの仕送りも最後の一年には絶たれ、辛うじて家賃だけは負担してもらっていたが、それでもお金のことで特に気に病むことはなかった。毎日家の近くのカフェに行って、コーヒーを頼んで長居し、学食や近くのお店でご飯を食べ、また別のカフェに行った。それで、夜になると、早くて20時くらい、遅くて21時とか22時くらいになると、その子の家に自転車で向かった。季節にもよるけれど、京都の夜の道をひたすら自転車で北上するのは気持ちがよかった。百万遍から東大路通りを北上していくと、すぐに一乗寺のあたりに着く。本屋やラーメン屋や飲食店の灯りがちらほらついていて、それに並んでいる学生や人々がまだぱらぱらいる。更に進むと、修学院になり人も店もぐっと数が減る。道はぶっきらぼうな国道になり、鴨川や白川通りを流れている疏水と合流し、空気がぐっと湿っぽくなる。川が落ちるちょっとした轟音のようなものも聞こえてくる。そこも抜けて、山の中へ向けて更に北上する。店はなくなり、家もまばらになり、明らかに自然が多くなる。車がそれなりのスピードで走ってくるので注意しなければならない。川に沿って坂を上り始める。自転車にはギアがついていて、これを一番軽い「1」か「2」に入れて走る。風景は森になり、樹々が夜にしか醸し出さない匂いと湿り気、水蒸気のようなものを吐き出していて、その空気をたっぷりと肺の中に吸い込み酔いしれながら走っていた。15分ほど、そのような森の中の坂道を漕ぎ上がらなければならないのだが、疲れたと感じることがなかった。むしろそのような、都市から自然の中に迎え入れられていく過程を毎回の儀式のように楽しんでいた。

彼女の家は、その森の中の閑静すぎるマンションの一室にあった。親の持ち家で、2LDKほどあったと思うのだが、猫と一緒に一人暮らしをしていたので行くといつも喜んだ。大体は着くと夜なので、いつも彼女はもう部屋着になっていて、課題をしたりテレビを見たりして暇をつぶしていた。時々、僕がバイト終わりにもらったお菓子やご飯を持っていって、それを一緒に食べた。共通の話題みたいなものはほとんどなかったのだが、それでも今日はこんな感じだったということをお互い軽く報告した。少し休むとシャワーを浴びて、それから少しソファでテレビを見たり、ベランダで猫と遊んだりした。ベランダの目の前にも川と森が広がっていて、風呂上りにそこに出ると気持ちがよかった。それから、それ以上やることもないので一緒にベッドで眠った。大体は、眠る前にセックスもしていたと思う。その時の眠りのことを思い出す。思い出そうとしている。その時、僕は自然と眠っていた。安らかに深く眠っていたような気がする。夢さえも見ず。時々、彼女の方が悪い夢を見て夜中に泣きながら起きることがあった。そういう時は、大丈夫だよと言ってまたすぐに眠った。時々猫が布団に潜り込んできた。寒い冬には、三つの塊が丸くなって眠っていた。彼女は大体朝早く、自分で起きて、バタバタと支度をして出かけていく。それを一応見届けて、僕はまた猫と眠った。その時はずっと眠っていた。起きたら大体お昼かその少し前くらいで、適当に冷蔵庫の中の牛乳や食パンを齧って食べて、そしてまた大学の近くのカフェに向かう。外に出ると日差しが眼球に刺さる。昨夜の夜の湿り気は失われてしまっている。少しの後ろめたさを感じながら山を降りていた気がする。帰りは下り坂なので、一瞬で大学の方まで到着する。面倒なので自分の家には帰らないことも多かった。カフェでまた昨日の本の続きに取り掛かる。彼女には、研究内容については一切話すことがなかった。時々一緒に美術館へ行っていた。それで、ギュスターヴ・モローや熊谷守一を一緒に観たりして、彼女も好きになったりしていた。でもそれだけだった。心の深いところで、僕が何を考えていたのかは、彼女には共有していなかったし理解もできないだろうと思っていた。自分でさえ、自分が本当に何なのか、何を考えているのかいまいち理解できていなかったのだ。

どういう理由か忘れてしまったけれど、あるいは自分の論文の提出期限が迫っていたことが原因だったのかもしれないけれど、彼女のところへ行かない時期もあった。その時は、夜中1時くらいまで開いている木屋町のカフェで本を読んだり文章を書いたりしていた。それが終わると外に出て、意味もなく祇園の夜の街を少し歩いたり徘徊したりしていた。どうしてあんなことをしていたのか、今ではよく思い出せない部分もあるけれど、何かを探していたのだと思う。時々他の女性にも会っていた。そんな夜の街の中ではほとんど何も見つからなかったのだが。それで、2時か3時くらいに自分の家に帰ってきて眠った。眠りに就く前に一瞬、森の中の家で眠る彼女と猫のことを少し思い出していたような気がする。僕の中で、眠りと彼女が表象として、あるいはシンボルとして、一つに結ばれてしまっていたのかもしれない。一度、人と二人で飲む機会があり、それは最初は何ということのないただの食事のはずだったのだけれど、相手が悪酔いしてとんでもなく意地悪く当られたことがあった。彼は自分より15以上歳が上で、自分も大学院生だったこともあり、それで恐ろしくなり抜け出した。その時は確か既に夜の11時を回っていたと思うのだが、何か悪いものから逃れるような気持ちで彼女の家に向かった。悪魔のような物が憑いてきて、そんなことは滅多にあることではないのだけれど、一人では眠ることができないと思ったのだ。その時の森はいつものようではなく、恐ろしかった。暗闇にどこまでも包まれてそのまま飲み込まれてしまうのではないかと思った。坂道が終わらないのではないかと感じた。時々走る車が暴力的に脇を横切り、そのまま消えていった。彼女の家に着くともう12時を回っていて、当然彼女は寝ていたが、何も言わずにそこに潜り込んだ。自分にとってそこは、何か悪魔払いのような居場所になっていて、とりあえずそこにさえ入れば、そこにつかまっている間は少なくとも、大丈夫だと思えていたのだと思う。今、その場所はもう失われてしまったが、眠れない夜に彼女とその空間のことについて時々思い出す。

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