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日々、抜き打ちテスト。


玄関を出ると、抜き打ちテストがはじまる。例えば、、

①朝の通勤電車

いつものように電車に乗る。今日は運よく席が空いている。自分が座る席も一つ見つけられたし、隣には誰もいない。快適な通勤時間を送れそうだ。列車が停まる。まだ2駅目。あと5駅もあるのか。スマホに目を戻す。ふと、入り口から入ってきた親子2人を目の端で捉える。自分の周りはどこもかしこも一席づつしか空いてない。鴨川のカップルみたく、きれいに等間隔だ。自分が1席横にズレれば、あの親子は並んで座ることができる。ふむ。よし、横にズレよ、、

これは、横にズレようとしたタイミングで、別の方が先に親子に席をゆずったパターン。決断の速度が遅かったのだ。

②女性とレストランで

お腹空いたー。お、いい店あるじゃん。ここはいろー。
どれにするか決まった?OK。周りを見渡すも、忙しそうなウェイトレスたち。あ、1人こっち向いた。「すいませーん」。気づかないから手を挙げる。「あ、すいません!」まだ気づかない。女性もソワソワし始めている。女性「すいませーん」。

何回呼んでも気づいてくれないウェイトレスたち。目が合ったのに、気づいてくれないウェイトレスたち。どうしよう、と思っていたら、女性が呼ぶと急に反応するウェイトレスたち。適切なタイミングで適切な声量で店員を呼ぶことの難しさたるや。

③居酒屋で絡まれて

カンパ〜イ。いやーみんな今日もお疲れさま!飲もう飲もう!
いやー、それでどうなのよ仕事の方は最近。うんうん。大変だねー。うわ、そんなことあったんだ。あー、転職も考えてるんだね「お前ふざけんなよ!(隣の席から)」。あ、なんか隣騒がしいな。いや、でもまだ半年だし、もう少しだけ見てみるっていうのも、「お前が先に言ってきたんだろ!(隣の席から)」。あ、、ごめんちょっと聞こえなかった。

隣の席が騒がしく、全く話に集中ができない。店員さんを呼んで注意してもらうも収まらず、、直接言うのも場が白けてしまう。結局、このお店は、しっかりした話がありそうな時には避けるようになった。

自分の中にある分かりやすい抜き打ちテストを挙げてみた(①〜③)。おそらく、もっと過激なものも、もっと小さなものも、身の覚えのある抜き打ちテストがみんなにもあると思う。

ただ、それだけ

抜き打ちテストとは、いつ行われるか分からないテストのこと。人生に置き換えると、それまで培った能力を試される試練のこと。それが家を出ると次から次にやってくる。そんな風に考えてしまうのは、外でのあらゆる振る舞いが、常に誰かに見られ、ジャッジされていると感じてしまうからなのかもしれない。そしてそれは自分が誰かを絶えずジャッジしつづけているからかもしれない。

その時その場所での判断が、限りなく正解に近いものでありたいという思い。それは、ミスをしてはならないという強迫観念の裏返しだ。これには、承認欲求とか、自分の屈折した欲望とかいろんなものが絡み合ってるんだろう。

いつでも準備できている人でありたい。いつでも自然体で反応できる人でありたい。自分はどんな時でも自分として、世の中に反応していきたい、と強く思う。でも、時には赤点をとってしまうこともある。どうしようもない恥をさらしてしまうこともある。しかし、それって悪いことなんだろうか。キムタクみたいにカッコよく決まる時だってあるし、ブラッドピット(好みに任せます)みたいにスマートに女性をエスコートできる時もたぶんある。ただそれだけのことなんだ。

ただそれだけ。ただそれをやり続け、ただそれに自分のまま反応するだけ。ただその結果をそれだけのこととして受け止める。ただそれだけのことなんだろう。

"日々舞台裏、日々舞台袖、日々舞台上"

by半平太


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