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絵には勇気がいる

猪熊弦一郎の著書「私の履歴書」(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館)の帯の言葉が「絵には勇気がいる」だ。

先日、私は個展が終わってからマティス展を観にゆき、やはりマティスは自由でいいなあ〜と感動した。
帰宅後に自宅で本の整理をしていたら、猪熊弦一郎のこの本を見つけた。
パラパラとめくってみると、猪熊弦一郎がマティスと会った時のことが書かれてあった。
猪熊は、マティスに「君の絵はうますぎる」と言われたらしい。それは、「自分の絵になっていない」ということだと彼は解釈する。


(以下、本文抜粋)
マチスにしろ、ホアン・ミロにしろ、ピカソにしろ、まるで子供に返ったような純なそして自分自身の世界を作っている。それはだれでも簡単に真似ができそうにみえるが、とてもむつかしいことだ。
結局、うまく描くということは人に良くみてもらいたいと思うために描くということに通じている。技術の稚拙は自然なものなのだ。思ったことを素直な、虚飾のない姿でカンバスにぶつけることこそ一番大切だ。



猪熊弦一郎 題名不明  
出典元:https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/18_inokuma/point.html


ここ数年、私は子供の絵画指導をするようになって、子供たちの描く絵にとても惹かれるようになった。子供たちは、とても純粋な描きたい衝動があり、それが思いもよらない勢いとなって画面に出てくることに驚き、私もこのように描けたらいいなあ〜と思うようになっていた。

先日の私の個展では、新たな試みのドローイングと木版画は「子供の時のお絵描きの気持ちを取り戻す実験」として取り組んでいた。
自分では気に入っていたけれど、発表前には「これでいいのかしら??」と弱気になったりもした。技術はさっぱり伝わらないけれど、楽しく描けた。
子供の気持ちで自由に無意識的に描きながらも、大人の自分が最後の仕上げ作業をした。子供の自分と大人の自分の共作的な。

「絵には勇気がいる」
この言葉は、今の私の解釈だと
「これでいいのかしら?というものでも、思い切って発表する」ということであり、「自分がこれだと思うものを信じる」ということなのかもしれない。

そして自由を見つけても、同じことを繰り返すと新鮮さを失って、すぐに不自由になってしまうから、自由でいるためには常に探り続ける必要があるのだなあ。
今は、25日からの京橋でのグループ展に向けてドローイングを制作中。

「子供の時のお絵描きの気持ちを取り戻す実験」としての木版画


「子供の時のお絵描きの気持ちを取り戻す実験」としてのドローイング

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