見出し画像

日本の性教育のゆくえ

この季節は、お子さんの運動会に行かれたかたも多いのではないでしょうか。

友人の子の小学校では
今年から徒競走を男女混合で行うようになったそう。

なんでも、
ジェンダーフリー(性別による差別からの解放)の観点からだそうで・・・

一等はほとんどが男の子で複雑だったと言っていました。


とくにここ数年、日本の遅れた性教育をとり戻すのだといわんばかりに、
性教育の本質をわかっていない大人たちが
こういった「的外れなジェンダーフリー」をあちこちで遂行している
ことが顕著だったりします。

それによって
性教育のあやまった概念が子どもの中で一人歩きしてしまっている状況にはとても懸念しています。


ジェンダーフリーとは
「男らしさ」「女らしさ」を押し付けずに誰もがあるがままに生きよう
というのがシンプルにいうと本旨ですが、

ただそれは
「男らしさ」「女らしさ」は存在しない、ということでは決してありません。

オリンピックでも男女別で走り、男女別で泳ぎますし、ヒトとして生まれた以上「男女の区別」や「男女のちがい」はかならずあります。



一番わかりやすいのは生殖機能。
男は子どもを産まないし女が子どもを産みます。

そして
男の方が力が強い、女の方が力が弱い
男は女を好きになる、女は男を好きになる

という「傾向」はあるけれど、
一人ひとりちがうのが当たりまえで皆がその個性をいかして生きればそれでいい

ということですね。



少し前に、キラキラな可愛らしいケースが特徴的な化粧品メーカーが
『ジェンダーフリーの時代なので男性でも使えるようにケースをシンプルに改良しました』

と宣伝していましたが、

ジェンダーフリーを理解しているのであれば、
“シンプルに”なんて変えなかったはず。

そこには“男が可愛い物を使うのはおかしい”
というバイアスが如実にあらわれてしまいました。

世のなかの性への認識はそんなことが多いです。



男女みんな一色単。それがジェンダーフリー。
男女いっしょに走ればジェンダーフリー。

そんな思考の教育現場が多くあることに懸念はありますが、
ただ、子どもたちにはこれを糧にしてほしい・・!とも思うのです。

いっしょに走って女の子は男の子に勝てなくて悔しかったけど、
男女で体格や力の差はこれだけある。

だから男の子同士で取っ組みあってもいいけど、女の子にやったらまずい

その中でも、走るのが遅い男の子、速い女の子もいたでしょう。
いろんな男女がいてそれでいいんだと。


社会全体の性教育への認識を引き上げていくには、相当な努力と時間がかかると思うけれど

わたしは性教育は、本当はどの教育よりいちばん幸せな教育だと思っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?