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短編小説「file:0 幻燈城市」(第二話)

4、 
 わたしは教室の後ろのほうの席で、学級委員が朝のホームルームを進めるのを、ボンヤリとやり過ごしていた。
 教室の窓からは、正門の向こうにあるビルがよく見えた。ビルは〈應龍国際酒店インロン・インターナショナル・ホテル〉という大層な名前の宿泊施設だが、実際は平凡な安ホテルにすぎない。ホテルの隣は、怪しげなブランド品を扱うブティック、スーパーマーケット、アパルトマン、麺屋、激安の電器店などが建ち並んでいる。商業施設と住宅が、ごちゃごちゃと入り組んでいる【應龍寨城】お馴染みの風景だ。
 平日の朝のこととて、舗道はせわしなく歩く会社員の男女であふれていた。車道は、いつものように車が列をなし、鉄で出来た運河のようにゆるゆると流れている。その中を、港にある巨大なクレーンのような龍脚類ディプロドクスが、ノッシノッシと追い越していく。派手な電飾のビルに、マッコウクジラが優雅に衝突して、何事もない様子で貫通していく。誰も特に注意を払っている者もいない。それが九月の秋空に相応しいのかは分からないけど、我が街では珍しくない光景なのは確かだった。
 学校でのわたしは、ごく目立たない生徒だ。孤立してるわけではない。休み時間に普通に友達と会話もするし、お弁当を一緒に食べる面子もいる(女の子ならダーシャとかダイアナ、よくしゃべる男の子だとグエン)。でも、放課後も四六時中いっしょに過ごす間柄の友達はいなかった。
 特に意識してそうしているわけではなかった。学校に、わたしみたいな同級生との距離感を持つ子は大勢いる。元々、行き場のない流民の不法占拠によって出来た街だから、メンバーの出入りも激しく、自然とそうした、深入りしない態度が身についているのだ。
 かといって、まったく団結していないというわけでもない。もし仮に、わたしやクラスの子が誰かに乱暴されたとしたら、どこからともなく校内で自警団が立ち上がり、相手を酷く痛めつけるだろう。それは友愛ゆえというよりも、子どもなりの秩序意識の有りようなのだった。
 わたしは、一日をジリジリしながら過ごした。そして六時限目が終わると、すぐさま教室を飛び出した。
 四時半に、父の事務所に来客予定がある。
 わたしは、初めての仕事に踏み出そうとしていた。
 
5、
「あなたみたいな子どもが、話を聞くの?」
 彼女はあからさまに、眉根を寄せた。
「父は別の調査が大詰めでして。御安心下さい。いつも父の秘書として、予備調査を任されておりますのでーー」
 わたしは、どうにかこうにか、微笑みを引っ張り出した。
 ふうん、と依頼人は鼻を鳴らして、ソファに背中を預けた。得心がいっているようには見えなかった。
 そうはいっても依頼人も、わたしとあまり年齢は違わないように見える。あとで聞いてみれば、三つ上の二十歳とのことだった。しかし、トランペットみたく裾が外に膨らんだ優美なスカートに、シンプルな暗色のシャツというシックな装いを着こなしている様子は、確かにずっと大人びた雰囲気だ。
 せいぜい手馴れて見えるよう祈りながら、わたしは手帳と鉛筆を構えた。学生服ではまずいだろうと知恵を絞ったはいいものの、三つ揃いに着替えたのは、やり過ぎだったのかも知れない。コスプレに見えてなければいいが。
 いま自信満々のていでわたしが述べたことは、勿論、すべて出鱈目である。この時点で怪しまれ、依頼を取り下げられるようならば前途多難だな、とわたしは胸の裡でひとりごちる。
 良家の若奥様然とした、依頼人ヱミ・ラザレフが戸惑っているのは、顔色から判った。思いのほか狭く、みすぼらしい事務所の様子も、彼女の上等な外出着に見合っていないのだろう。
 わたしは、父は優秀な探偵ですが大変忙しい身です、と型通りに謳い文句を述べた。実際は、父がいなくなってからきた依頼は知り合いの同業者に回してやり過ごしていた。
 わたしは場つなぎのために、規定の探偵料金の説明をはじめた。一日の料金、出張手当て、必要経費として計上する項目、割増料金などなど。
 その説明が功を奏したとは思えないのだが、ヱミ夫人は心を決めて話し出したのだった。まさか金額がお手頃だったからではあるまい。つまり夫人は、藁にもすがらざろう得ないような、かなり困った状況に陥っているのではないか。実はわたしは、内心の不安が面に出そうになるのを、必死でこらえていた。電話を受けたかぎりでは、逃げ出した愛玩動物ペットを探す依頼の筈だったのだが。
「見つけて欲しいのは、この子よ」
 思いきった様子で彼女が差し出したのは、モノクロの紙焼き写真だった。それは、お邸の庭で撮ったとおぼしきスナップ写真で、きれいに刈り込まれた芝生の上に敷布シートが拡げられ、バスケットや皿やカトラリーが並んでいた。軽装の依頼人と、夫だというくつろいだ様子の四十がらみの男性が、カメラに笑顔を向けていた。表情は笑っているのに二人ともどこかぎこちなく演技めいて、映画の宣伝ポスターのように見えた。そして、二人のあいだに、見たこともない生き物が写っているのだった。
「これは……〈有翼ヨウイー飛天フェイティエン〉ですか?」
「あら、ご存じ?」
「いえ、話に聞いたことがあるだけですが……」
「でも、話が早いわ。主人が、大陸奥地で手に入れたものよ。現地では〈鳧徯フゥーシー〉とか〈石像鬼シィーシャングイ〉なんて呼ばれているらしいけど」
「〈石像鬼シィーシャングイ〉……」
 わたしは、改めてスナップ写真をまじまじと眺めた。
 確かにそれは、ゴシック建築の聖堂に乗っている石像鬼ガーゴイルに似ていた。小型犬ほどの大きさで、体毛は薄く、背中から蝙蝠のような翼を生やしていた。尤も、あれほど恐ろしげな顔はしていない。わたしには、どちらかといえば、愛嬌のある顔立ちに感じられる。メガネザルを連想させるのだ。
 これは、【受肉】と呼ばれる珍しい現象だった。【幻生動物】のなかには稀に、実体化する個体がおり、それは俗に【受肉】と呼ばれているのだった。俗に、というのは無論、この用語を本来の語義で使う人々からの異論があるからだった。
「この子は、ガビは、主人のお気に入りなの。世話をしているのはあたしだけど」
 その口調にやや皮肉な色が滲んでいると感じたのは、気のせいだろうか。
「お宅では、どのように飼われていたのですか?」
「普段は、庭に置いてある、大型犬を入れる鉄のケージにいるのよ。外に出すときは、大きめの鳥籠で連れていくか、首輪をしてリードを着けていた。それがーー」
 昨日の朝、ヱミ夫人が餌をやりにいくと、ケージが空っぽになっていた。
「失礼ですが、奥様が餌をお持ちになっているのですか? 使用人の方ではなくて?」
「云ったでしょ、主人のお気に入りだって。主人は使用人を信用していないのよ」
 手提ハンドバッグを開け、彼女は財布を取り出した。話した規定の料金の倍の札をテーブルに並べる。
「ねえ、お願い。ガビを見つけて。来月、主人が出張先の外地から戻る。それまでに見つけないと、あたし……」
 料金が大変魅力的なのは間違いなかった。しかし、わたしは夫人に尋ねなければならないことがあった。それによって依頼が取り下げられるかもしれない。しかし、訊かなければあとあと面倒なことになる可能性もある。
 わたしは覚悟を決めて質問した。
「どうして私どもの事務所にお出でになったのでしょうか? ここはお邸とは、その、かなり離れていますが」
 夫人は、わたしの言葉の意味を理解したようだった。わたしが述べているのは、距離的なものだけでなく、階級的なものも含めてである。彼女のような階級の人間は、わざわざ【應龍寨城】に出向いて来たりはしない。
 ヴィクトリア市は半島部と島部で成り立つが、【應龍寨城】は、半島の南東の隅っこにある。圧倒的に庶民や貧民の多いエリアであり、裕福な人間は半島から滴り落ちた染みのような形の島側に居を構えている。
 探偵にもピンからキリまでがあって、業界には、そういう上流階級御用達のお歴々がいるはずだった。そうした探偵は、上等な背広姿で、秘密裏にお邸に呼び出されるのだった。
 ヱミ夫人は、気分を害したように、軽くわたしを睨んだが、わたしは目をそらさなかった。折れたのは夫人だった。
「あのご立派な探偵たちはね、勿論、厳重な守秘義務があるわ。けど上流階級のゴシップや裏事情に精通している彼らは時と場合によってーーまあ金額や便宜ってことだけどーー〈業務上知り得た秘密〉とやらを〈うっかり〉洩らすの。これは私たちの〈サークル〉では常識なのよ」
「……」
「それに……あたしの運転手が昨夜、【應龍寨城】の夜市に遊びに来て、見かけたの」
「〈有翼飛天〉をですか?」
 依頼人は前のめりになった。大人っぽい柑橘系のオーデコロンが、匂った。
「いいえ、ホアンを。彼は以前、邸にいた庭師よ。彼を見つけて。ね、探偵シェイマスさん」
 

 ヱミ夫人が事務所を後にするとわたしは、部屋を出て、給湯スペースを抜け、トイレに駆け込んだ。一応、名誉のために云っておくと、尿意を我慢していたからではない。わが社の、依頼を請けた際の通常手順なのだ。
 父は、わたしに探偵仕事の詳細を教えはしなかったが、わたしの前でもルーチンを疎かにはしなかった。だからわたしはそれを知っていた。
 ビルヂングの最上階、五階の角部屋にあるこの事務所の家賃が割安なのは、表通り側に窓がないからだった。通り側の壁は、広告看板で塞がれていた。しまり屋の家主が、看板で僅かばかりの広告代を稼いでいるのだ。しかし、壁には外からは窺い知れない明かりとりの隙間があって、そこから表通りが観察できるのだった。
 純白の外套を羽織ったヱミ夫人の後ろ姿が、路地を遠ざかっていく。携帯電話を片手に、【應龍寨城】を取り囲む大通りに向かっていた。彼女のような階級の人間が、地下鉄でやって来るのは考えづらい。運転手付きの自家用車が外で待っているのか、タクシーを使うかだろう。
 ふとわたしは、思いがけない発見に少し戸惑った。いやハッキリいえば、ドキドキした。というのも、事務所の向かいの建物の陰にたたずんでいる男が、夫人の後ろ姿をじっと目で追っている気がしたからだ。
 應龍外そとの人間だ、ととっさに思った。
 帽子を目深に被ったその男は、充分距離を置いたあと、夫人の後をゆっくりとついていった。男は中肉中背で、これといって目立ったところのない格好をしている。にもかかわらず、やはりどうにも怪しくわたしの目に映った。
 この感覚を、應龍の外の人に伝えるのは、存外難しい。だけど、わたしや同級生など、特にこれといって特別な技術を身につけていない普通の子どもであっても、外部からやって来た人間を何となく見分けることができた。どこがどうと聞かれても答えられないのに、わかるのだ。そうした違和感をまとった転入生が、次第に周囲と馴染んで、すっかり應龍の色に染まっていくのを何度となく経験していた。
 二人はやがて、人混みにまぎれていった。
 わたしはオフィスに戻って、ソファに腰を下ろした。額に手を当ててしばらく考え込む。
 いま見た光景に、どう解釈をしたらよいか迷った。気のせいかもしれない。そうでないかもしれない。
 グルグルと思考が行きつ戻りつしたのでわたしは、両手で自分の頬っぺたをパチンと勢いよく挟んだ。
 今ここで考えても、答えは出ない。頭を切り替えて、前に進むしかない。
 再び給湯スペースでやかんを火にかけ、爽やかな風味の花茶ホアチャァを煎れた。ガラスの茶壷ティーポットから茶杯カップに注いで香りを楽しみながら、父ならばまず何から手をつけただろうか、と思いを廻らす。
 父がおおむね最初に行っていたのは、確か基礎調査だったと思う。つまり依頼人や捜査対象の身許や素性が、申告通りなのかを調べるのだ。
 父は、この予備的な調査に複数の情報提供会社を使っていた。情報提供会社は、役所や登記所といった公開情報を集め、データベースを作っている。会社によっては、法的に公開が許されていない情報も扱っているらしいが。今ではSNSなどを駆使して近い情報を得ることができるのだろうが、そこで知り得た内容が果たして正確なものなのか、自分が判断できるのか心許ない。
 わたしは、オフィスに設置されている電話を活用することにした。短縮ダイアルに登録されている情報提供会社の一つに電話をかける。門前払いをくらうのでは、と内心ドキドキしながら、〈フタムラ・インベスティゲーション〉の名前で問い合わせた。
 秘書です、というわたしの云い分が通じたのかはわからない。あるいは、契約でお金を払っているからかもしれない。ともかく相手方の情報提供会社は、ヱミ・ラザレフやホアン・ヴァン・ティエンについてのデータを送ってくれた。
 少なくともヱミ・ラザレフは、本人が述べたとおりの人物だった。生年月日は二〇〇〇年六月二十一日。陸運局に運転免許証の登録がある。昨年二〇一九年に、ヤーロフ・ガルジーニ氏と結婚。ガルジーニ氏はヤーロフ・ラザレフ氏となり、ヱミ夫人の方は名前は結婚前から変わっていない。どうやらヤーロフ氏は、婿養子のようだ。
 ヱミ・ラザレフが誰かを訴えたり、逆に誰かに訴えられたりした記録はない。前科も逮捕歴もない。クレジットカードの支払いは良好。夫のヤーロフ氏は貿易関係の会社を経営していて、裕福な家のようだ。
 逆に、ホアン・ヴァン・ティエンの情報は乏しかった。カード情報も運転免許証もない。選挙管理事務所にも記録はなく、移民局にあるホアン・ヴァン・ティエンの名前は、三十人は下らなかった。
 こうして情報を得ても、手をつかねている。どこから調査を始めればよいのか見当もつかない。
 あらためてそんな状況に気づいて、わたしは呆然となった。

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