にしのとりかえばや(第六話)
六、
勇壮な角笛の音が、喨喨と流れた。
次いで、幾つもの銅鑼が、神域全体を震わせるように打ち鳴らされる。呼応して客席からどよめきが起こった。
中午近く、物影がもっとも短くなるころ、剣士の入場が始まった。
内院に、神殿から白い装束の女官たちが姿を見せた。続いて大天幕正面の幕扉が開いて、一列になった剣士たちが、昂然と顔を上げて姿を現した。観衆の声援が、また一段と大きくなる。
本選出場者全員が出揃い、舞台の中央に整列した。
女官たちが手を上げると、客席は水を打ったように静まりかえった。
進み出た女官の口から、独特の節回しの長い誦文が発せられた。剣士たちは緊張した面持ちでそれを聞いている。そのあと、女官の指示に従って剣士たちもいっせいに誦文を唱和した。正々堂々と戦う事をエフリア神に誓ったのである。居並ぶ剣士の中に、サラもいた。
上午の予選では、途中あやうい対戦があったものの、首尾よく八名の中に残ることができた。もちろんグルクス、サハムなどの有力剣士はのきなみ入っている。そして、アガムも勝ち残っているのだった。
サラは、何人か隣にいる、美貌の剣士を横目で見やった。
予選を見物した限りでは、少年の剣は、そつのない、そしてこれといって特徴のない印象であった。だがそこにサラは、かえって不気味なものを感じていた。音もなくサラの背後をとるような実力者にしては、大人しすぎるのがどうにも気になるーー。
サラの疑念をよそに、式次第は粛々と進んだ。
女官のひとりが、白木でできた箙に、誦文をつぶやきながら矢を挿していく。八本すべてを入れおえると、べつの女官がそれを捧げもって、剣士たちに近づいてきた。剣士は、端から順に矢羽をつまんで引きぬいていった。矢じりにあたる個所に染料で色がつけられていて、同じ色同士で対戦相手を組み合わせるのだ。
カイの矢じりは黄色で、左右を見渡すと、黄色を引いたのはーー件のアガムだった。同じくこちらに気がついたアガムが、うすく微笑んだ。
にわかに、総身が引きしまった。
(落ちついていこう)
カイは胸のうちでつぶやく。
再び銅鑼が鳴らされた。堅苦しい儀式は終わって、剣士のお披露目の時間だ。
一行は、舞台のふちをぐるりと回って退場する。観客は贔屓の剣士に思い思いの声援を送っている。剣士の中には、手をふって愛敬をふりまいている者もいた。
舞台の上からは、客席の様子が見てとれた。ジナが、一所懸命手をふっているのがわかった。ジクロとラムル、アルキンの姿も見える。
剣士たちが幕扉の中に戻ると、三たび、銅鑼が鳴った。
(いよいよ始まる)
サラは武者震いを一つした。
*
奉納仕合は、天の至高神エフリアと、東西南北を守護する四天将に捧げられる。総勢八人の剣士が、一対一で仕合を四つ行い、それぞれの勝者が褒章として東西南北をあらわす赤黒緑白の染め布を受けとるのだ。
第一仕合ーーグルクスが、圧倒的な力技で勝利。
第二仕合ーーサハムが、落ちついた仕合運びで、やはり勝利。
第三仕合は大番狂わせで、すでに隠居している古参の元千戸長が、オウダインの俊英を粘り勝ちで制していた。
残すはサラの番のみ。入場を待って扉の内側に立つサラにも、内院を埋めつくす無数のざわめきが、ひたひたと感じられた。興奮した囁き声や、声高に言い争う声。無理もない、とサラは思った。
観客を支配する戸惑いと期待が、手にとるようにわかる。サラとて、それは同じだった。
これから舞台に立とうというのは、今朝まで会場の誰ひとりとしてしらなかった少年である。彗星のような天才剣士の出現。それも美姫と見まごうばかりの麗人とくれば、観客の注目はいやがうえにも高まっていた。
一見、サラとアガムの技量は伯仲しているようにみえる。だが、サラの見当では、アガムの実力はまだまだ底がしれず、先からの不気味な印象はますます強くなっている。
開始の合図で、ひときわ長く銅鑼の音が響いた。幕扉が、ゆっくりと左右に開いていく。梔子色がかった強い下午の陽射しが、射し込む。
舞台が見える。歓声が、いっそう強い波となってサラを取り囲んだ。隣の扉も開いた。アガムは緊張しているどころか、暑熱を感じている風すらなく、あくまで涼しげである。
サラとアガムが、中央に進み出た。熱気は、最高潮に達していた。歓声、嬌声、怒号が交じり合う。
舞台なかほどの開始線に、二人はとまった。
正面で相対すると、アガムの白面のなかで、唇がやけに赤く浮きあがってみえた。
立て続けに銅鑼が鳴りーー心の準備が整わないまま、仕合が始まった。
二人の剣士は、お互いに間合いをとり、木剣を構えた。
サラは、相手の喉元に切っ先をあわせる基本の構え。足を楔形にひらき、腰を軽く落として、前後左右に素早く移動できるようにした。
アガムは、これまでの正統派の構えをとらなかった。木剣をやや寝かせて、柄を握る右手と右足を前に出す。左足は引き、大胆な半身になった。
「守本沙羅」の記憶が一瞬、フェンシングの構えを連想したが、すぐにサラの意識に溶けた。
(いよいよ、正体がわかる)
どちらもすぐには、動かなかった。まるで、二体の彫像が出現したようであった。
観衆も、息を飲んで二人を見つめている。
傾きはじめた日は、まだ容赦のない暑さを残していた。ゆるゆると、両者のあいだに陽炎のようなものがたち昇ったように見えた。透明な力で、空間が押しつぶされていきーーその圧力が一気に解き放たれた。
動く態勢に入ったのはサラの方が早かったが、その初動の機先を制して、アガムも動いていた。
滑るように間合いをつめてくる。その勢いのまま、体ごとぶつけるように電閃のような刺突をみまってきた。サラは左にかわしつつ応じて、それを弾いた。
がちっ、と鈍い音がして、両者がすれ違った。
振り返りざまにアガムが、肩を打ってきた。受けるために腕を上げたサラをからかうが如く、アガムの木剣の軌道が変化し、一転、脚をおそった。慌てて脚を引いて、間一髪これをかわす。
体勢を崩したサラが、わずかによろけた。すかさず、アガムが追撃を送ろうとした瞬間、サラは機敏に跳んだ。よろけたのは誘いであった。
真上に跳躍しながらサラは、横なぎ一閃、アガムの頭部を狙った。相手の意表をつく、〈燕〉という技である。アガムはかわすだけで精一杯だった。後方に大きく跳びすさる。
一方、着地したサラも後ろに下がって体勢を立て直した。
強い残照と急激な運動で、たちまち額に汗が噴きだす。息があがる。再び、どちらからともなく近づき打ち合った。二合、三合、四合ーー。木剣の攻防が奏でる、かん高い打突音がつづく。アガムの攻めをしのぎ切ったサラは、後ろに下がった。二人はまた対峙して間合いを測った。
(手強い!)
サラは胸の内で呟く。
ここへきて、蛹が羽化するように少年の剣が変貌をとげた。退くかとみせて一挙に攻撃に転じ、上段からの攻撃のはずが、信じられないような変化で、下段に襲いかかってくる。そして、少しでも隙を見せると火のような攻めになった。先制攻撃だけでなく、受け技も鋭い。
(難剣、というやつね)
サラは油断なく、相手をにらみつける。さしものアガムも肩を上下させていたが、夢見るような両の眼は、ますますキラキラと輝き、珊瑚色の口許がいっそう赤く艶かしい。その様はサラに、とぐろを巻く沼蛇を連想させた。アガムの相手は、変幻自在の動きに絡めとられて地力を出せないまま、身動きがとれなくなってしまうのではないかーー。
〈燕〉による奇襲は、功を奏したようだ。アガムが心持ち慎重になっている気がする。サラは、ここで攻勢に出ることにした。
ゆっくり横に回るとみせかけ、しゅっと鋭く踏みこむ。受けに入ったアガムに対して、ひかずに間断なく攻撃をしかけた。小刻みに前後左右に動きながら、肩から腕、また肩、胴へと続く波状攻撃である。ベルン修練場で、〈鶲〉と呼ばれている連撃であった。アガムが、変化技を出す前に、一気に攻める腹だ。
だが驚くべきことにアガムは、この苛烈な攻撃をしのぎきると、反撃に転じてきた。目まぐるしく攻守が入れ替わる。アガムの斬撃は速く、体重も乗っていて、華奢な少年の膂力とは思えない。今度は、ひたすら受けに徹した。どっと客席がわく。語り草になる名勝負への予感が、人々を熱くする。
何合めのことか、同時に打ちこんだ両者の剣が、はっしと交差し、こんどは根元をあわせての力比べになった。体重をかけて押し、そして押し返された。
アガムの顔が間近に迫る。
サラの視線とアガムの視線が、絡みあう。
アガムの唇が、きゅいっと吊り上がる。
ぞくっと恐怖を感じ、サラは力任せに相手を突き放した。距離をとって一呼吸の後、互いに次の一撃に入らんとしたそのときーー。
突然、内院を角笛が震わせた。低く四回、続けて二回。すぐさま反応を示したのは、女官たちだった。さっとその場で片膝を折って、頭を垂れた。その場にいた誰もが一瞬、呆けたような顔になった。やがて神殿正門をくぐり抜け、戛々と爪音も高らかに騎馬の伝令が姿をあらわした。
「一同に申し渡す! 太守陛下、ご崩御! 繰り返す! 太守陛下、ご崩御なり!」
にわかに騒然となった場内で、身じろぎもせず睨みあっていた二人の剣士は、渋々といった体で、構えを解いた。
「決着はーーおあずけということになりそうですね」
いまいましげに吐き出したアガムが、ふいに年相応に見えた。
「そのようですね」
サラとアガムは、互いの目の中に、苦衷を見いだした。
ついと目を逸らすとアガムは、つまらなそうな顔になって、大天幕へと帰っていった。
熱気を消すような夕べの風が、吹き出した。
逸、
ごう、と風が哭いた。雨を予感させる、湿った風だった。
先程までの明るさが嘘のように空は重く垂れこめ、男の周りでは急速に闇が濃くなりはじめていた。
男は凝然と、足許を見つめている。
そこには亡骸が一つ横たわっていた。
仰臥した亡骸は、死してもなお剣士としての誇りを失うまいとするかのように長剣を握っている。それを見下ろす男の手にもまた、血刀があった。
また、風が哭いた。
黒々とした闇色の森の木々が、それに答えるように、ざわざわと葉をゆらした。どことも知れぬはるか遠くから、獣の咆哮のような轟きが、低く低く流れてくる。
生きている男と死んでいる男、どちらの男も、微動だにしない。
やがてためらうように、水滴が数粒、天から零れ落ちてくると、幾らもしないうちに辺りは銀色の車軸に包まれた。
静止した二人の上に、沛然と雨は降り続つづけた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?