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【本の紹介】『日本のいちばん長い日』と『遠い昨日、近い明日』、そして書き残すということ

『日本のいちばん長い日 決定版(半藤一利著)』『遠い昨日、近い昔(森村誠一著)』の2冊を読み終えました。

両書とも1945年8月15日とその前後のことが書かれています。

『日本のいちばん長い日 決定版』

『日本のいちばん長い日』は、1965年の発売当初、大宅壮一編として出版されました。
執筆者は半藤氏でしたが、まだ無名のジャーナリストだったため、大宅壮一氏の名前で出されたようです。

発刊30年後の1995年、過去には書けなかったことや新しくわかったことを加筆・訂正し、「決定版」(半藤一利著)として出版されました。

日本の「ポツダム宣言」受諾に至る上層部での長い会議の様子、天皇の発言、陸軍相の思惑、そして、「玉音放送」直前の陸軍の反乱、「玉音放送」後の若い将校たちの動きなどが、真に迫る筆致で描かれています。

昭和生まれの私たちは、学校で「昭和以降の歴史」をほとんど教えてもらっていません。
平成・令和生まれのみなさんはどうでしょう?

1945年といえば、私が生まれるたった20年ほど前。

今から29年前の阪神淡路大震災のことはありありとその恐怖を覚えているし、13年前の東日本大震災、そして直近の能登半島の地震は言わずもがな。「またいつあるかわからない。きっとまたある」という恐れを実感として持っています。

私が生まれるたった20年前の「第二次世界大戦」は歴史の教科書の中の話で、言ってみれば「関ケ原の合戦」とあまりかわりません。
実際に体験していないことは「知らない」と紙一重です。

けれども、『日本のいちばん長い日』のリアルな語りは、まるで自分がいま体験しているかのような気持ちに導いてくれました。

「1945年8月15日」は、「新型コロナ感染症による世界の混乱」に近いリアリティを持って迫ってきました。

「今ここでなんとかしなければならないもの」として。

(新型コロナ感染症による混乱も、日常の生活が戻るにつれ、ウソのように忘れられてきていると感じますが…)

そんなつらつらとした思いを引きずりながら、『遠い昨日、近い昔』を読み始めました。

『遠い昨日、近い昔(森村誠一著)』

森村誠一氏は1933年、埼玉県熊谷市に生まれました。

『遠い昨日、近い昔』は、2015年に発刊。
森村氏が80歳を超えてから新聞に連載された自伝をまとめたものです。
「何のために生き、何のために書くのか」ということについての森村氏の思いが痛いほどに伝わってきます。

こんなことが書かれています。引用が続きますがお許しを。

この戦争を生き残った国民は、戦争を体験している。
だが、その体験を書き留めておこうとする人は、多くはなさそうであった。人々は、軍国主義から民主主義への変化に対応できず、深刻な食糧不足や、医療品や日用品の不足、劣悪な住宅事情といったないない尽くしの中、過去の体験を記録しておくよりも生きることに精一杯で、体験や小説などを書く余裕がなかった。

『遠い昨日、近い昔』

70年前、日本列島を軍靴が蹂躙した理不尽な時代の気配が、今日濃厚になっている。しかも、その気配を喜ぶ傾向が強い。

『遠い昨日、近い昔』

森村誠一氏は、戦時の記憶と思いを我々に託し、2023年7月24日、90歳で逝去されました。


私(たち)はすぐに忘れてしまいます
新型コロナ感染症のことも遠い昔のようです。
まだ感染が続いているのに。
後遺症で苦しむ人がたくさんいるのに。

前に進むためには忘れることが必要で、忘れることは決して悪いことではないのですが。

けれども、時々思い出しておかねばならないと思うのです。
歴史は繰り返してしまうから。

思い出すための機会はいくらあっても多すぎることはありません。

だから、戦争を経験された方々が経験や思いを書き残してくださることはとてもありがたいことです。

戦争を経験された方々だけではなく、自然災害や感染症による混乱の経験、また、この社会の生きにくさ、そして素晴らしさ、ひとりひとりの日々の暮らしを書き残しておくことは、想像以上に価値があると思います。

たくさんのNoterの方々が書いておられる膨大な記事は、ひとつひとつが宝物だと思うのです。



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