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女子の進学差別 豊かさ消え露骨に

今日(2024年6月3日)の朝日新聞にこんな見出しの記事がありました。

女子の進学差別 豊かさ消え露骨に

「ケア要員」地元にとどめたがる親

ここは日本ですよね?
今は令和ですよね?

女子の大学進学率は男子と変わらないほどになったのではないの?


1964年生まれの私が高校生の頃、大学進学率には大きな男女差がありました。
余程経済的な余裕があるのでなければ、家庭の中での教育費は男子に多くあてられました。

うちの家庭も然り。二人の弟たちはしっかり勉強をして大学に入って就職することを求められましたが、女である私は「しおらしく」あることを求められました。残念ながら私は、母が求める「しおらしい女性」にはなりませんでしたが🤣

その時代、家庭教育における男女不平等はある意味当然でした。男女の雇用機会が均等ではなかったのですから。
私たちの親世代にとっては、我が子に「男は外で働き、女は家を守る」という家族の形を保障してやることはベターな選択でした。

そういう私たちの親世代、女子の大学進学はもっともっと少なかった。
私の母は5人きょうだいで、1人の男性と4人の女性。大学に進学したのは1人の男性だけです。

そのまた上の世代は『虎に翼』の世代。門戸さえ開かれていませんでした。


文科省の学校基本調査によると、2023年の大学進学率の差は、男子60.7%、女子54.5%まで縮小しているそうです。
けれども、旧帝大7校の女性の割合は、東京大21.0%、京都大22.4%など、いずれも2~3割程度とのこと。

また、地方に住む女子が、「女の子だから地元に残って欲しい」「女の子なのに浪人するの?」というようなことばで、進路を阻まれるケースが今も残るのだといいます。

その背景には何があるのでしょう?
前掲の記事で、作家の山内マリコさんはこのように語っています。

経済的に余裕があり、ある程度覆い隠されていた男女差別が、露骨に表れてきた、ということではないかと思います。
ー(略)ー
団塊の下の世代が親になったあたりから、日本が経済的に疲弊するなかで、子どもにしわ寄せがいった気がします。地方出身者が県外に出る場合、生活費もかかる。すると、少ない資本は男子の教育投資に回そうという発想になる。
ー(中略)ー
端的に、「女子に教育投資する甲斐のない社会」になってしまっているからだと思います。(略)女性がお金を稼げない仕組みがあるからです。

それに、いつの時代も親は女の子を「ケア要員」とみなしているのではないでしょうか。

経済的に余裕のある時代は差別の仕組みを覆い隠せました。将来男子に比べてお金を稼げない女子にも「あなたの思う通りの道を進みなさい」と教育費を出してやることができました。

けれども現代のように、経済的な余裕がなくなると差別の仕組みは覆い隠せなくなります。

これは女性差別だけではなく、あらゆる差別において言えることですよね。
余裕のない社会になるほど、マイノリティへの差別は露わになります。
気をつけていなければなりません。




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