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【退職後の日常】舞鶴引揚記念館へ

3日前、アマゾンプラムビデオで、映画『ラーゲリより愛をこめて』を観た。(まだ無料で観られます)
辺見じゅん 原作の ノンフィクション 『 収容所(ラーゲリ)から来た遺書 』の映画化作品である。

恥ずかしながら私は、第二次世界大戦後のシベリア抑留について知らないに等しかった。

『収容所から来た遺書』は、収容所での厳しい生活の中でも人間としても尊厳を失わず、他の抑留者の心を支え続けた山本幡男という実在の人物の物語である。

山本幡男氏は11年の長きにわたる収容生活の末、ハバロフスクで病死された。しかし彼が書いた「遺書」は、仲間たちによって家族のもとに届けられた。ソ連軍に没収されることを予想した仲間たちは、数人で分担して「記憶」し、記憶を持ち帰ったのだった…。

『収容所から来た遺書』は、ナチス強制収容所での体験を描いた『夜と霧』と重なった。極限状態で、こんなにも人間らしく他者を慮って生きることができる人がいるのか!



ということで、私はとにかく早く「舞鶴引揚記念館」に行きたくてたまらなくなった。

夫に「舞鶴の引揚記念館行きたいねんけど、行かへん?」と聞いてみると、速攻「ええよ」との返事。
「そしたら今日中にアマプラで『ラーゲリから愛をこめて』観といてな。明日行こ!」とむちゃぶりした。

そして昨日(5月21日)、ふたりで行ってきた。

「白樺日誌」の一枚
紙の代わりに白樺の皮を使い、空き缶でペンを作り、煤を水で溶かしてインクにし、日々の思いを和歌にしたためた。奇跡的に没収をまぬがれた。
手作りのメモ帳(日々の記録や、抑留中に亡くなった仲間の名前、住所などが書かれている)
俘虜用郵便はがき(すべてカタカナ。ご家族との悲痛なやり取りに心が痛む)
収容所内の様子を再現されている
舞鶴港に帰還された方に配布された「引揚援護の栞」。帰国後の様々な手続きや生活の支援について書かれてある。
引揚船が入ってきた桟橋(1994年に復元されたもの)
ここで息子の帰国を待ち続ける母の様子は『岸壁の母』の歌になった
今日の自分には曇天が合う(写真は点検中の海上自衛隊船)

戦争は絶対に嫌だ

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