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夏の思い出5(中国から来た生徒たちと過ごした夏)

夏の思い出シリーズも、はや5回目になりました。
何だか自分で楽しくなってきたのでもう少し続けます。

これまでのシリーズはこちらです。にぎやかしにリンクを貼っております。

下の子の育休が終わった1995年頃。
勤務高校の通学区域の団地では、中国残留孤児の2世、3世の人たちが次々に入居されていました。

「中国残留孤児」とは、第二次世界大戦末期、日本へ帰国できず、中国大陸に残された子どもたちのことです。

多くの残留孤児の方々や、その他関係者の方々への丁寧な聞き取りと、膨大な資料をもとに書かれた『大地の子』(山崎豊子)は圧巻です。

中国大陸に残された人たちは、長い期間にわたって日本に帰国することができませんでした。日中の国交が断絶していたためです。

1972年の「日中国交正常化」を機に、戦争末期に帰国していた方々は、中国に残してきた子どもや兄弟の消息を求めて周恩来へ手紙を送り、中国でも残留孤児探しが開始されましたが、ときは文化大革命。

そして周恩来の死去、日中両国政府の動きの遅さなどもあり、ようやく始動したのは1981年。この年に初めて「残留孤児訪日調査団」47人が日本にやってきました。以降1999年11月まで30回で2116人が、肉親との血縁関係確認に訪日しています。

訪日調査団のみなさんが来られるたびに、テレビや新聞でも、ご本人の顔写真やお名前、拾われた場所、年齢、出身地などの情報が毎日のように発信されていました。ただ、戦後の混乱の中、日本名も年齢もわからない方々も数多くいらっしゃいました。


さて、1995年頃、私の勤務する高校の通学区域の団地には、そういった中国残留孤児の方の2世・3世の方々(特に小中学生とその親世代)がたくさん入居してきていらっしゃったのでした。

急激に増えていましたので、小中学校はその対策におおわらわでした。日本語の指導はもちろんのこと、文化の違いからくる住民間のいざこざへの対処や生活相談までされていたのでした。

勤務高校は「地元集中」といって、地元の子どもたちが通う高校でしたので、中学を卒業した生徒たちは、次は我が高校に入ってきます。

さぁいよいよ来年からどんどん入学してくるという段になり、本校にも「中国帰国生担当」を置いて受け入れの整備とその後の支援をしていくということになりました。

そして、初代担当は私がやらせてもらうことになったのでした。


中国人の自分も大事にするために

中国から来た生徒が増えたといっても日本の学校では圧倒的にマイノリティです。授業は日本語ですし、日常生活の方法も日本方式で行うことが常識になります。

しずかに微笑んでいるその生徒さんの心には、前に出ることを躊躇い、中国人である自分を恥ずかしく感じてしまう重い塊のようなものがありました。

そこで提案してみました。
「次の文化祭で中国の扇の舞と獅子舞やらない?」

その頃には「中国文化研究会」というサークルを作り、私はその顧問でした。

文化祭に向けての夏

文化祭準備の夏休み、まずは中国の舞をプロの方に教えてもらいにいきました。さすがはプロ。大変厳しく教えてくださいました。

実はそのとき、本校の取り組みを紹介するために、NHKの「アジアマンスリー」という番組に密着取材をされていました。

舞の先生が厳しかったのも、生徒たちが厳しい指導に文句も言わずについていったのも、密着取材のおかげかもしれません😂

「扇の舞」と「獅子舞」の練習は夏休みの間も何度も行われました。

私はひたすら衣装づくりです。
せっかくの夏休みに我が子のそばにいられないのは悲しいので、子連れ出勤。
子どもを連れていくと生徒たちが喜んで遊んでくれました。

文化祭当日

文化祭当日、我々の出し物が体育館でのオープニングを飾ることになりました。
まずは銅鑼の音に合わせて手作りの獅子舞が入場し、踊り狂います。
獅子が退場すると中国の静かな曲が流れます。
何度も練習した「ほぼプロ」の扇の舞は、それはそれは見事でした。
全校生徒に拍手喝さいを浴びました。
テレビでも紹介されていたので、外部の方も見に来られていました。
演技終了後の笑顔、みんなで抱き合って泣く姿は忘れられません。

悲しすぎる夏

悲しすぎる夏もありました。
ある生徒が不法滞在であったことが明らかになったのでした。
不法であることをわかっていた大人は許されないのでしょう。
しかし、まだ子どもだった生徒は、わからずについてきただけでした。
しかもようやく日本語を覚え、日本に慣れてきたばかりでした。

そしてあろうことか、足の悪い父親に変わって、息子である生徒が入管施設に収容されたのでした。
このときほど日本人であることを情けなく思ったことはありませんでした。

詳細は以下の記事に書いております。



人の尊厳を守る国にしていかなければなりません。
せめて身の回りからでも…

次回は、「支援学校小学部の夏」の予定です😊

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